2007年2月 7日 (水)

予感―予感―

夢を見た。それは限りなくリアルで、果てしなく非現実な夢だった。

 「さあ!議論を始めよう!」議長が声高に叫び、手を振り上げた。

 「何についての議論なのさ?」Aがやる気なさそうに尋ねた。

 「無論、あしたについての議論に決まっているじゃあないか」議長は呆れて鼻を鳴らした。

 「僕はあまり関わりたくないね」Bが少しだけ震えながら呟いた。

 「いや、僕らには議論はともかく、答える義務がある。議長も含めて」Cが冷静に言った。

 「そうとも、議論を始めるべきだ」議長は先より更に、声高に叫んだ。

 「でも、僕は面倒くさいのはごめんだね」Aはため息混じりに愚痴った。

 「うむ、君らはただ答えれば良い。議論は私が進める」議長は誇らしげに周りを見た。

 「じゃあ、どうぞ、お好きなように」Aは諦めたように言葉を紡いだ。

 「君たちはあしたをどう思うかな?」議長はすぐさま議論を進めた。

 「僕は何もわかりませんね、知りもしないし」Cが最も早く発言をした。

 「彼女に聞いてくれればいいさ、もういないけれどね」Bは自虐的に答えた。

 「これでは議論の元にならん。君はどうかね?」議長はAを指差した。

 「オレは楽しければ、何がどうでも知ったこっちゃないよ」Aは静かに首を振った。

 「ダメだ、ダメだ! 議論にならん。これでは結論も出ない」議長は怒りうなだれた。

 「何か手は無いのかな? 僕は早く帰って眠りたいんだ」Bは他人事のように意見した。

 「うむ……、どうしたものか……よし!昨日君を呼んでみようじゃあないか」議長はこれぞ名案と言わんばかりに叫んだ。「昨日君、昨日君! 来たまえ!」

 「……はぁ、なんの御用でしょうか?」昨日君は遠慮がちに現れた。

 「君はあしたをどう思うかね?」議長は厳かに、かつ力強く問うた。

 「そんなこと、僕に聞かれたって……、僕はあくまでも過去ですから、未来であろう、あしたのことなんて何も……」昨日君はまごまごと口篭った。

 「そうか……、それも一理はある。けれど、どうしたものか……」議長は頭を抱え込んだ。

 「じゃあ、次は現在さんを呼んではいかがでしょう?」Cが悠然と声を放った。

 「現在さん、現在さん!おいでってば!」Aが嬉々としながら叫んだ。

 「……わたしにも、ついに、とばっちりがきたようね」現在さんはしぶしぶ現れた。

 「とばっちりだなんて誤解だな……、それで君はどう?」議長は疲れ気味に息を吐いた。

 「わたしに何を望んでいるのかしら、わたしがあしたをわかったら、まるでわたしなんて要らないじゃないの……、まったく嫌だわ……」現在さんは思い切り顔を顰めた。

 「うむ、それもそうだな……ああ! ではどうすればいいのだ!」議長は混乱していた。

 「なら、あした自身を呼んでみればいいじゃないか」Bが当然のように提案した。

 「あした? あしたはいるのか? あした! いるのか!」議長は力いっぱい叫んだ。

 「……はい、ここにいます」あしたはごく密かに声をあげた。姿は見えない。

 「君は、一体、何者なのかね……?」議長はすがるように嘆いた。

 「……申し訳ないですが、僕にもそれはわかりません。僕は、僕であることがわかるだけなのです。つまり、僕が過去でも現在でもないことがわかるだけなのです。たぶん、それ以上でもそれ以下でもないのではないでしょうか……」あしたは語った。

 「……はぁ……わかった、もういい、議論は終わりだ、解散!」議長はまた声高に叫んだ。

 A、B、C、昨日君、現在さん、議長、そしてあした、皆がうなずいていた。

とても滑稽なやりとりの夢だった。正直、何がなんだかわからなかった。しかし、僕は思う。それでいいのではないのかと。「あした」のことなど、誰だってかすかにもわかりやしない、知りやしないのではないか。過去も現在も「あした」は決められない。むしろ「あした」が過去を、現在を決めるのではないだろうか。もし、この僕の思いが正しいとすれば、僕らにわかることは、「あした」には何かあるものがあるという、淡い、漠然とした「予感」、いわばただそれだけなのではないだろうか。

どれだけ嫌がっても、怖がっても、無関心でも、考えふけっても、「あした」は来るのだ。そうして「あした」が来るなら、僕らは「あした」を信じてみるしかないのだ。確証は無いが、そう思える。少なくとも、僕にとっては。

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 これで4つに分けて更新する「予感」は終わり。実のところ、この文章というか短編は、もとは詩だった。それこそ「予感」という歌詞から、この文章が生み出された。歌詞の「予感」は、当然この短編よりも短いし、同じなのは軸だけで、その周りを彩っている形は随分と異なる。どちらも、個人的にはとても気に入っている。

 時間を止めることは出来ない。少なくとも、一般的に認識されている世の中では、動かしようもない事実だ。だからこそ僕らは、信じるしかない。過去は次々と作られていく。こうして文章を書く間にも、あるいは息をしているその瞬間にも、わずかずつではあるけれど過去は作られていく。

 そして現在は決して留まることなく過ぎ、もしかしたらそれが現在であると認識されうることもないかもしれない。現在はほんの一瞬、それも僕らが完全に掴みうることなどで着ないほどに、短い。けれど、確かにその現在は、その時そこにあり、確実に迎え入れるものだ。

 未来は尽きない。何処まで行こうと、未来は僕らの前に立ちはだかる。時にはそれが光に見えることもあれば、闇に覆われている塊にしか見えないこともある。僕らの前には幾つもの未来がある。たとえ、生まれた瞬間に総てが決まっていようと、その「総てが決まっているのかもしれない」という意識を持つことにより、幾つもの選択が生じる。つまりは、道が見える。

 僕らは、その道がどの未来に繋がっているのかを、明確に知ることは出来ない。多少なりの傾向を見出し、若干のヒントがあったとしても、僕らはある意味では霧の中に飛び込むように、道を選ばなければならない。道を閉ざすことは出来る、意図的に。けれどそれは、何の意味ももたない。それは、僕の中では議論に含めない。

 未来は多くの現在と過去を規定する。未来のあり方によって、その時の現在、その時の過去は、いかようにも姿を変える。それは思い出と言うこともできるし、後悔と言うこともできるし、歴史ということもできる。そうして規定する力のある未来も、またそのうちに規定されうる現在、過去へと変わりゆく。

 僕らは、常に未来を持ち、常に現在を通り過ぎ、常に過去を作っていく。それならば、僕らがすべきことはなんだろうか。努力、そうだろう。経験、そうだろう。怠惰、時には必要かもしれない。惰性、そういうこともある。待つ、それも一理だ。他にも有り余るほどに、行動の岐路はある。

 しかし、その総てを総合して僕が思うのは、とにかくそれらを含めた、「これからおこりうる未来」であり「これから変えてゆく未来」を、僕らはどうあれとにかく信じるしかないのではないか、ということだ。辛いことも厳しいことも、悲しいことも怒れることも、楽しいことも笑えることもある。その総てを、信じる。

 前に「許すという奇跡」という文章の中で、愛において「許す」は「信じる」を内包する、と書いた。それとは別次元の話だ。未来においては、「信じる」は最大のファクターとして存在するのではないだろうか。そしてこの「予感」という短編は、あるいは「予感」という歌詞は、そのファクターのメタファーとして存在する。もしくは、メタフォリカルなモチーフとして、存在する。そこに意味と意図がある。

 長くなったが、そういうことだ。この短編を読んで、そして僕の勝手な思い込みを読んで、どう感じるかは全くの自由だ。このブログはそのために存在する。ただただ、きっかけを投げるために。たとえわずかな人にしか、受け止められることがないとしても、ただ赤裸々に叫ぶ。

 メッセージは、伝えるもんじゃない。メッセージは投げかけるものだ。青く淡い心で。     circus

2007年2月 6日 (火)

予感―Cにとって―

「あしたには何があるんですか?」

 突然、僕に小さな子どもが話しかけてきた。どう見ても十そこそこの小学生にしか見えなかった。そんな子どもが一体、僕に何のようだというのだろう。その上、「あしたには何があるか」だって? まったくよくわからない。そんな事がどうだというのだろう。けれど、いかにとぼけたものとはいえ、子どもは流石に無視できない。とりあえず答えなければならないと思った。だから、「知らない」と、僕はただそれだけを子どもに言った。僕は子どもに何かを教えられるほど、大人じゃない。

「あしたとは何かね?」

 今度は、いかにも紳士的な老人が話しかけてきた。しかし、どういうことなのだろう。「何があるか」の次は、「何か」だと言う。こんなに博識そうな老人に聞かれて、僕はどう答えるべきなのだろう。そもそも、この老人が知らずに僕が知っていて、僕がこの老人に対して伝えられることなど、果たしてあるのだろうか。そんな風にも思ったが、やはり何も答えないのは、紳士的に失礼に当たると思った。だから、「よくわかりません」と、僕はごく控えめに言った。僕は老人を諭せるほど、立派なもんじゃない。

「あしたは何処にあるの?」

本当に疲れる日だ。またもや「あした」について話しかけられた。それも今度は、明らかにお嬢様のような女だ。「何処」だって? さすがお嬢様だ、洒落ているよ。時系列に空間を取り入れてきた。お嬢様なら、別に何を知らなくとも生きていけるだろうに、不自由など何一つ無いはずだ。そんな人が、いまさら「あした」に何故興味があると言うのだろう。しかし、答えないわけにはいかない。これはもう性格だろうと思った。だから、「難しいですね」と、僕は優しげに言った。僕はお嬢様に意見できるほど、余裕などない。

「あしたはいつ訪れるのでしょう?」

 もう、驚くことは無かった。慣れてしまった。さりげなく手に取った雑誌の、モノクロページの見開きに、でかでかとこの言葉だけが主張していた。これは、僕に対しての問いではなかったのかもしれない。ところが、僕はその文字に見入った。間違いなく僕には、文字の声と呼ぶべきものが聞こえた。無論、勝手な思い込みに過ぎないだろうが。そうとも、声に出さずとも、答えねばならないと強く思った。だから、「今ではありませんよ、恐らくは」と、僕は雑誌に書き込んだ。僕は文字を納得させられるほど、賢くはない。

「あしたは誰のものですか?」、「あしたは何のためにありますか?」、「あしたは触れるかね?」、「あしたは現実なのか?」、「あしたに終わるのだろうか?」、「あしたは…………

 僕は結局、相当な数の人やモノからに対する問いに答え続けた。もちろん、どれとて大した答えではなかったけれど。それでも僕は、僕なりにしっかりと考えたつもりだ。たとえ、答えたそれがどうしようもないものだったとしても、それは当たり前のことだろう。

 僕は「あした」について何かわかるほど、優れた人間ではないのだ。金も無いし、名誉も無い。才能もないし、根性も無い。知識も無ければ、体力も無い。特技も無いし、趣味だって無い。他にも無いものだったら溢れている。結局、僕には何も無いのだ。強いてあるというのなら、それは僕という自意識と、この体だけかもしれない。

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 さらに続き。これが「予感」の三回目の更新。次の更新で、「予感」は終わる。一つ一つの話は随分と色が違うけれど、総ては予感で繋がっている。

 とにかく、総てを書き終えたら、もう少し語りたい。     circus

2007年2月 5日 (月)

予感―Bにとって―

 ありえない一日だった。本当にそれは、いままで経験してきた中で、想像しえなかったほどに、様々なことが一気に起こりすぎた。まず、朝に目を覚まし、水を飲もうと思い蛇口をひねると、昨晩からの水道管工事のせいで、水が一滴も落ちてこなかった。次に、いつも定時に乗る通勤電車が、途中の駅で軽い事故があり、二十分も遅れた。そして会社では、お得意様から突然の契約解除の連絡が入り、昼の休憩の帰り道では、サイフを落とした。また、家に帰ると、この間受けた検定試験の結果が届いていて、試験には受かっていなかった。夕食時に水を使おうとしたら、どうしたことか、また水が一滴も落ちてこなかった。本当に、色々な災難が一気に降りかかった。中には勿論、こちらの責任とも言えるものもあったが、多くは災難と呼ぶにふさわしいものだった。しかし、もっとも考えさせられたのは、これまで挙げたどのものでもなかった。どのものよりも僕の責任が絡み、どのものよりも、僕にはどうにもならないものだった。彼女が去ったのだ。

 しょうがないことだ、と結局は思った。彼女は僕に、多くのものを与え、多くのことをしてくれたが、僕は彼女に対し、何を与えただろう、そして何をしたのだろう。僕は、彼女に別れを告げられた後に、そう想いふけった。恐らく、一般的に男が、彼女にしてあげられるであろうことはしたはずだった。仕事の無い日はほとんど彼女と一緒に過ごしたし、少しでも時間が空けば電話をした。誕生日は出来る限り盛大に祝ったし、クリスマスは、クリスチャンではないけれど、メリークリスマスと笑った。他にも記念日があれば、僕は覚えていたし、暇があれば料理を作ったりもした。そして精一杯、僕は彼女を愛したと思う。が、だからといってそれが何だったのだろうということだ。今僕が思い返したものは、全て僕でなくても出来たことで、僕でなくても良かったことだったのではないだろうか。そして、それが現実だったのではないだろうか。すなわち、僕は彼女に対し、僕自身として何も与えず、僕自身として何もしていなかったのだ。それならば、彼女が僕に別れを告げるのは、やはりしょうがないことだった。

 たいしてショックを受けたわけでは無かった。それは、しょうがないことだという認識からきたものではなく、それとは別次元の気持ちで、ショックは受けなかった。また決して、僕が彼女を必要としていなかったからということでもない。僕には彼女のぬくもりは心地よかったし、ずいぶんとそのぬくもりを必要としていた。ではなぜショックは受けなかったのだろう。たぶんそれは、僕にとっても、彼女と同じだったからではないだろうか。つまり、僕にとっても、それが彼女でなくても良かったのではないだろうか。この考えはどの角度から見ても、絶対的に正しかった。だからこそ、僕はこうして冷静でいられるのだ。ありえない一日に起こった、もっとも特筆すべき出来事に対してですら。しかしこうして考えてみると、世の中に、僕自身を僕自身として、まして僕でならない存在として、すべてを必要としてくれる人は現れるのだろうか。そして彼女にも、そういう人が現れるのだろうか。僕はふいに震えた。恐くなった。がむしゃらに思考を凝らした。けれど、何も答えは見つからなかった。彼女はよく僕に、「明日になればわかるわ、明日になれば何とかなるわ」と言った。明日になれば、この僕の震えも恐さも、無くなってくれるだろうか。明日になれば、答えは出るのだろうか。僕の前に誰かが現れ、彼女の前にも誰かが現れてくれるのだろうか。とりあえず僕は、深く長く眠ることにした。

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 前に引き続くもの。この部分は、個人的にとても好きだ。特に二つ目の段落の部分。ある意味では、そこの部分こそがこの文章の核とも言えるのかもしれない。

「明日になれば何とかなる」というのは、もしかしたら逃げかもしれないし、詭弁かもしれない。

でも、そう信じなければならないことも、ある。     circus

2007年2月 3日 (土)

予感―Aにとって―

 ……え? ……明日? 明日はダメだよ……、だって、ほらあれがあるからさ……、ん?あれって言えばあれだよ、……うん……、前から言ってあったじゃあないか、ちょっと用事があるからって……、仕事みたいなものだよ、……そう仕事、……いや日曜日だってもちろん忙しかったりするさ……、あれ? 明日って日曜日だったかい? ……そうか……、いや、なにね、最近あんまり忙しいものだからさ……、曜日の感覚がまるっきりなくなっちゃってね、……うん、そう…………

 ―あぁ、面倒くさいなぁ、煩いんだよなぁ、ほんとに。なんだって、こんなにオレに付きまとうかなぁ、ただの遊びだっていうのに、なんだかマジになっちゃって。疲れるなぁ、明日の日曜日くらい好きにさせてくれってんだよ、まったく。そんなに時間が余ってるのかね、羨ましいもんだ、分けて欲しいくらいだね。毎度毎度、休みの前になるとこんな風でさ、もうなんだかなぁ、休みはゆっくりしたいんだよ―

 ……あぁ、ごめんごめん、聞いてる、聞いてるよ、……うん、そりゃあそうだよ、誰だって休みの日にわざわざなんて、……そう、わかる? しょうがないんだよ、ね……、ところで、君のほうは最近どう? ……いや、まった、まった! 違うよ! ……なに、分かってくれたんじゃなかったの? ……だから違うってば! どうしてそういうことになるかなぁ……、僕だって大変なんだよ、本当にいろいろとさ……、胃だってほら、ずうっとチクチク痛んでいるし、……無論だよ、今だって君を思うと……、いや、君が悪いんじゃなくて、君を悩ませてしまっている僕自身にね、……あぁ、大丈夫、大丈夫だよ、心配しないで、……うん、ありがとう、それで君のほうは…………

 ―悪い娘じゃないんだよ、別に。家に来れば、料理だって上手いし、掃除も気が利くし、洗濯もきちんとそろえて干すし、あっちの方だってもちろんね。そういう意味では、悪い娘じゃないよ。でもなんか重いんだよなぁ、将来とか結婚とか、そんなの言われたってねぇ、無理無理。いくらなんだって、縛られたくなんかないよ、もっと綺麗なコならまだしも。いや、見た目でどうこうってんじゃないけど、遊びがマジにはならないよねぇ―

 ……うん、そりゃあ僕だって寂しいさ、でもやっぱりほら……、人間ってのはもともとどこか孤独な生き物だろう? だからきっと自然に、……そう、慣れてくるもんじゃないかな……、いや、何も慣れるのが良いとは言ってないよ、ただ慣れることもある意味で必要悪ってことでさ……、うん? ……だからそういう訳じゃないったら……、僕だって寂しいもんだってさっき言ったろう? そういうことなんだよ……、僕だって君と同じ気持ちさ、辛いもんだよ……、まぁ、そうは言っても口では何とでも言えるからね、君に信じてもらえなくても、普段の僕が悪いってことなんだろうけれどね、……そう……信じてくれるかい、……良かった……、人間、相手が信じられなくなったら、まさに終わりだからね……本当に良かったよ……、え? ……勿論僕だって君を信じているさ! 当たり前だよ……、うん……、僕なんて君の事を、実の親以上に信じているつもりだよ、……大げさなんかじゃないさ……まして嘘なんてもんじゃない……、だって考えてもごらんよ、僕は君をこんなに…………

 ―あぁ、なんだかお腹が空いてきたな、今、何時だろう。なんだよ、もうこんな時間じゃないか、お腹も空くはずさ。暖かい味噌汁が飲みたいな、当然、豆腐とわかめの味噌汁。あとは何がいいかな。暖かい味噌汁に、きゅうりと茄子の浅漬け、鯵の塩焼きに豚肉のソテー、そしてほかほかつやつやのご飯、これだけあれば十分だな。あぁ、デザートはキンキンに冷えたオレンジシャーベットにかぎるよ―

 ……ずいぶん静かになったね……、どうしたの? そうか、もう眠たいんじゃないのかい? ……どうした、どうした……、なんで急に泣き出してるのさ! ……気にするなって言ったってそんなの出来ないよ……どうしたっていうのさ、……そう、……そうなんだ……、安心して逆に泣けてきちゃったってことか……、いやそれを聞いて僕も安心したよ、まぁ僕は泣きはしないけれどね……安心したよ、……じゃあ、そろそろ泣き止んで、ほら、落ち着いて、ゆっくり深呼吸をして……、すうう、はああ、すうう、はああ、さあもう一度、……落ち着いたかい? ……いいよ、いいよ……、誰だって泣くことはあるさ……、まして悲しみでないのなら、申し分ない…………

 ―あぁ、面倒くさいなぁ、煩いんだよなぁ、ほんとに。明日なんて、一緒にいることにならなくて、まったく助かったよ。せっかくの休みにまでこんな風だったら、たまったもんじゃないよ。もうお腹もすいたし、時間も遅いし、いい加減なんとかしないとなぁ。けど、なんか止めづらいんだよな、やっぱり、悪い娘じゃないからかな、参っちゃうよねぇ、このオレの性格。まぁ、明日はゆっくり休めるわけだけど、いい加減なぁ―

 ……それじゃあ、そろそろ……、時間もね、時間だし、……いや、そういうつもりじゃないよ、ただあんまり遅いと、君もやっぱり大変だろうと思ってさ……、ね? ……そんな……どうでもいいだなんて思っているわけが無いじゃないか……、むしろ、その逆さ、……そう、君のことを想っているからこその発言だよ……、言葉っていうものは難しいね……、聞きようによって、ニュアンスがまるで違うようになっちゃうんだな、……じゃあ、また……、何だって? 明日? ……だから、明日は…………

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 まさか、こんな会話をしようとも思わないし、こんなことを特定の人に対して思ったことは、ほとんどない。そんなことは言わなくてもわかるだろうけれど、このブログは主観も創作も混ぜて更新しているので、勘違いはされないように、明記しているに過ぎない。

 ところでこれは、かつて書いたたかだか8000文字程度にも満たない短編の一部である。ここだけを切り取ると、あまり空気としてよろしくない文章とも言えるかもしれない。

 これから今回を含め、4回に分けて総てを更新することになるのだけれど、まぁ面白いものではないと思う。人によっては、やはり気分を害することもあるのかもしれない。特に今回の更新分は。

 さて、続きはまた明日にでも。

      circus

2007年1月10日 (水)

その絵は別段特別なものではなかった。ピカソとかゴーギャンとかマティスとかロスコとか、そういういわゆる有名画家が描いたものではなかった。恐らくは、しがない、まだ売れない、あるいはこのまま大成はしないかも知れないような、若い現代美術家が描いたものだった。

 その絵を見ながら、君は泣いていた。

 絵のタイトルは書かれていなかった。美術館の都合上、壁にナンバーがふられ、タイトルの部分には「無題」と記されていた。一瞬、「無題」というのがタイトルのようにも思えたが、他のいかなる作品にも、「孤独の表層」「摘み取られた自意識」「現実妄想的理性」といったように、何かしらの複雑なものが付いていたから、まだタイトルを決めあぐねていたか、もしくはある意味で、未完成だったのかもしれなかった。美術館におけるナンバーは二十七だった。特にそれはいい順番でも悪い順番でもなかった。でもその絵の前には、休憩用のちょっとした長椅子が置かれていた。座り心地は幾分固かったが、僕らには十分だった。僕らはそれに腰掛けながら、この絵を見た。

 君はただただ泣いていた。声を上げることも、顔を顰めることも無く。

 それはパッと見る限りでは、単なる黒いキャンバスだった。大きさだってさして大きくもなく、かといって眼を引くほどに小さいわけでもなかった。けれど僕らは、確かにその絵にたまらなく魅かれた。僕は君のように涙を流したりはしなかったけれど。その絵は、実はよく見ると単なる黒ではないことに気づく。全体は黒でも、左隅と右隅ではかすかに明度が異なり、上辺と下辺では厚みが異なり、そして全体の中でタッチが二変三変していた。また黒い空間の中心に、とても小さい、それこそ針の穴の大きさのような赤い点が、一つだけあった。それは僕が今までに見た、どんな赤よりも深く強い赤で、どんな点よりも完璧な点であった。君にそれが何に見えたかはわからないが、僕にはそれは、心臓のように見えた。静かにのたうつ鼓動。それが僕の中にまるで、響いてくるように感じた。僕の鼓動と同期し、ともに動く錯覚にとらわれた。とはいえ、それはあくまで僕のイメージ、概念に過ぎなかったのではないかと思う。

君はいつまでも泣いていた。静かに、美しく。

僕らはこの絵がある間、何度も美術館を訪れた。おそらく一月ちょっとの間だっただろうが、僕らは毎日のように美術館を訪れた。見飽きた受付で慣れたようにチケットを買い、冷ややかな態度の入り口を越えて、数ある理解の難しい絵の前を通り過ぎ、いつも「無題」の前で座り込んだ。そして君は涙を流し、僕はその横でじっと絵と君とを見ていた。それはほんの数分で終わることもあったし、朝一番から美術館の終了時刻までそうしていたこともあった。僕は、自分から終わりを告げようと思ったことは無かった。なぜなら、僕自身も勿論絵が気に入っていたわけだし、また、君が見ていたいのならば、そうすべきだと思ったからだ。行動になにかの意味があるのではなく、なにかの意味が行動を起こさせていると思ったからだ。君には絵を見て涙を流す必要があり、僕にはそれを最後まで見守る必然があったのだ。少なくとも、当時の僕にとっては。

君はそのまま泣いていた。拭いはせず、滴らせるままで。

僕はどうして涙を流しているのか、君に何度か尋ねた。そのときの君の返事はまちまちだった。最初に尋ねたときは、君は首を横に振るだけだった。次に尋ねたときは、「わからないわ」と答えた。いつだったかに尋ねたときは、「意味なんて、見つけられないものよ」と答えた。何度尋ねても、なかなかに納得できるような返事が返っては来なかった。そのうちに僕は尋ねるのをやめた。「別にかまわない」、と思った。僕が君の全てを知ることなど出来るはずはないし、出来てどうということでもない。それはやはり、君にとっても同じことだった。僕はただ、君を受け入れようとした。何がそこにあろうと、何がそこに無かろうと、とにかく僕は、君の何もかもを受け入れる覚悟があった。それが正しかろうと、そうでなかろうと。だから僕は、君が涙を流すのを止めようとはしなかった。僕は何故そんな風に考えるのか、自分に尋ねてみた。思ったとおり、何もわからなかった。僕は反芻した。「意味なんて見つけられないものだ。」

君はどうしようもなく泣いていた。どうしようもなく、滑らかに。

つまり僕らは、とにかくその絵のためだけに、足しげく美術館を訪れた。

そしてふいのある日、その絵は美術館から姿を消した。けれど、僕らはそれからもしばらくは美術館を訪れた。はっきり言って、何を見るでもなかった。時々、幾つかの絵の前で立ち止まり眺めることはあったが、それはあくまでも形式上のものに過ぎず、僕らの目の前にはきっと何一つ映ってはいなく、いわば歩き続けた際の反動とも言うべき絶対なる休憩であった。そうして僕らは歩き回り、美術館を出た。その繰り返しだった。ならば、何故美術館を訪れたのだろう。絵はもうそこに無かったのに。しかし、僕らはそうすることが適切だった。そうしなければならなかった。もうここにあの絵はないのだ、という確固たる現実と、もうここで涙は流さなくてよいのだ、という漠然とした真実を、しっかりと受け止め、飲み込み、消化する時間が不可欠だった。リハビリのようなものかもしれない。僕らのどちらが言ったことではなく、自然と、僕らのどちらもが望んだことだったように思う。そう、仕方が無いことだったのだ。多分、きっと。

君は変わりなく泣いていた。ただし、僕の記憶の中で。

そうして一月ほど経った時、君は美術館を出た後で、「今日で最後ね……」と突然言った。僕はためらいなく頷いた。絵が無くなってからもう十分に時は経っていたし、何よりも君が最後だというのなら、それが最後であるという証にままならなかった。僕らはそれから振り返ることなく家に帰り、いつもよりも少し多めの夕食をとり、いつもより念入りに湯につかり、そしていつもよりも早い時間に眠りについた。

次の日の朝、目を覚ますと君はどこにもいなかった。

今度は絵でなく、君が消えた。

君が、去った。

溜まっていた涙が、流れた。

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 現実であるかそうでないかは、どうでもいいことだ。でも僕は、この文章がそこはかとなく気に入っている。

 この文章は、僕がある形式でまとめてある、いわば超短編をとりまとめた短編小説のような、13の文章のかたまりの中の1つだ。これが始めでもなければ、終わりでもない。しかしその13の文章は、それぞれがある意味で独立した状態で成立ちうるものだ。

 本来なら、13あるものを最初から書いていくべきところなのだが、今はまだ、その時期ではない。それ相応の時期が訪れたならば、その際にはきちんと順番に、ここに書いてみたい。

 それなのに、この文章だけここに括り出して書いたのは、あるいは僕が今、涙を流したくなるような感情の種を抱えていて、その今の僕の代わりに、この文章の中の僕に涙を流して欲しかったのかもしれない。

 記憶は時に優しくもあり、残酷でもある。人間がどれほどに忘れゆく生きものだとしても、総てを忘れることは出来ないし、そんなことは望みたくもない。ただただ僕が望むことと言えば、「今という記憶を、出来うるならば暖かい記憶にしたい」ということだ。

 そうだ、僕はもっと、美術館に行かなければならない。     circus

 

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