2008年3月 5日 (水)

不思議な夢というものは、案外覚えていないものだ。

たとえば、出だしのあるワンシーンや、最後の締めくくりは覚えていても、一体何が不思議だったのか、肝心なところは忘れていることがよくある。

けれど、僕たちは現実の中で、何とかその不思議な夢を思い出そうとする。そして思い出す。が、そうして出てきた不思議な夢は、たいてい現実から見た、不思議な「作り話」になってしまう。実際に見た夢とは、かけ離れていく。

僕は今日、不思議な夢を見た。そして、珍しく僕はその夢を完全に掴まえている。作り話などではなく、完全にありのままを記憶している。

夢の始まりは僕の家の扉だった。なんだか、外に飛び出さなくてはならないような圧迫感を感じたので、僕は潔く扉を開け、足を踏み出した。

すると、そこはだだっ広い丘だった。家から出ただけのはずなのに、見知らぬ土地に来ている。僕は驚愕のあまり後ろを振り向いたが、そこには出てきたはずの扉は無く、ただ丘が続いているだけだった。

丘は二つの点を除けば、単なる丘だった。ひとつは、何も動いていないこと。草も風も、空も雲も、あるいは太陽の光さえ動いていなかった。僕だけがゆっくりと歩いていた。

そしてもうひとつ、大きな穴が丘のてっぺんにあったこと。覗き込むと、先は目がくらむほどの闇で、何処まで続いているのか想像もつかないくらいだった。

僕は、どうしようもなくその穴に魅かれた。穴に落ちてみたくなった。穴の先を知りたくなった。だから、目を瞑り、一気に飛び込んだ。

何時間落ちたのかわからないが、なにやらやわらかい感触が足に感じられたので、目を開けた。……雲の上だった。

雲の上に立つなど、漫画みたいな話だが、確かにそこは雲の上だった。雲はふわふわとしっとりとしていたが、一方でとてもがっしりとしていた。とりあえず食べてみもしたが、味は特に無かった。

雲の上には、雲しかなかった。右も左も、前も後ろも、雲しかなかった。とても心地がいい場所だった。温度も湿度も、すべてが完璧なように思われた。しかしなんとなく、不完全な完璧さを僕は感じていた。少し疲れていた僕は、ごろんと寝転んだ。

はしごが見えた。

モクモクとしているから形がわかりづらかったが、僕の頭上にはしごが見えた。正直、どうでもよかった。はしごなんて興味もないし、ましてや昇ってみたくもなかったし、何より、僕はまだ寝転んでいたかった。しかし体はそれを許さなかった。

勝手に足が動き回り、手がはしごを握り締めていた。僕は諦めてはしごを昇った。ずっとずっと、雲がかすむまで昇った。

はしごが途切れたところは、トウキョウの大通りのマンホールだった。もう一度下を見たが、そこにはもう雲は陰も無かった。こうしていても意味が無いので、マンホールを出た。

その瞬間、目の前からとてつもないスピードで車が突進してきた。僕はぶつかると思い、ふいに若い死を覚悟した。

しかし、車はぶつからなかった。いや正確に言うと、車は僕を通り抜けた。僕には一切衝撃は無く、車も平然としていた。

次の車も、そのまた次の車も同じだった。まるで僕がそこに存在していないかのように、通り抜けていった。嫌な気はしなかった。けれど気持ちが良いものでもなかった。混乱と云う表現が、もっとも適切なようにも思われた。僕はとにかく落ち着こうと、何処か休めるところを探した。

僕は寂れた喫茶店を見つけた。少々ためらいはしたが、他にめぼしい場所が見当たらなかったので、観念して入ることに決めた。

扉は自動ドアになっているはずなのに、ドアの前に立っても開く様子は微塵も無かった。自動でない自動ドアは、やたらに重かった。やっとのことでドアを開けた。

ドアが開いた向こうに見覚えのある部屋が見えた。そしてそこにはよく知っている後姿があった。

僕だった。そこは僕の部屋だった。そして、まさに僕がドアを通ると同時に、目の前の僕は、家の扉から外へ出て行った。

そこで、目が覚めた。夢の中ではこれらはとても不思議に感じた。ところが、今考えると、夢のすべてを覚えてはいたが、ならば何処が現実に不思議かと言われると、今の僕は、全くもって閉口してしまう。

僕は今、回目の雲の上に立っている

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 うーん、文章が若い。随分若い学生のころに書いた文章が、出てきた。今思えば、同じ題材で同じ流れで文章を書いたとしても、こうはならない。

 今と昔。どちらが優れているとはいえないけれど、妙に恥ずかしい気分になるのはいたし方がないのだろうか。

 若い。     circus

2008年2月20日 (水)

僕は、春。

 まだかまだかと待ちわびる春は、まだ来ない。冬の匂いは影を潜めて、幾分ゆるやかな陽射しの世界が増えてきたけれど、まだ春と呼ぶには遠い。

 晩冬。そうかもしれない。晩冬という言葉の響きが、最も今の季節には近いかもしれない。どことなく、暗くひそやかなイメージが膨らむ。言うなれば、いつもの帰り道の途中に、ふと街灯が途切れていることに気付き、さらにはふと自らの孤独にも気がついてしまい、心がどこかに分散してしまうようなイメージ。いささかオーバーな気もするけれど、表現上に嘘はない。

 季節にはそれぞれ匂いがある。冬の匂いは影を潜めたのだけれど、細分化した意味での冬の匂いはまだ街を漂っている。

 春夏秋冬。ひとまずの括りはこの四つ。そしてそれぞれがさらに三つずつに細分化される。つまるところ一年の月の数と等しくなる十二の匂いが、世界を占める。もっともっと細分化することも出来るけれど、それはもはや意味がないように思える。厳密にしてしまえば、一日ずつ、あるいは一時間ずつでも匂いは異なるものなのだ。

 「好きな季節はいつですか」

 例えばそういう問いが投げかけられれば、僕は間違いなく春と答える。淀むこともなく、惑うこともなく、はっきりと確かな響きで春と答える。そしてまた、自らが同様の問いを投げかけた際には、相手が春と答えを導くとなぜか心が和らぐ。

 「春は好きですか」

 こう問うのは、実は野暮だ。春はおかしな季節で、おかしな事件や人も増え、いつも以上に陽気で、その空気感を少しばかりいぶかしく思う人もいるけれど、全くもって春など好かない人間に出会ったことはない。

 「君はどうだろうか」

 柄にもなく、そんなことを考える。僕はいつも出来る限り多くのことを考え、出来る限りそれぞれにバランスよく重きを置くようにしている。だからこそ、必要な時に自らの頭の中で混乱を招くこともあるけれど、それが僕の考え方だから仕方がない。マグロが常に海を回遊するようなものだ。僕は常に思考の中を回遊する。

 しかしながら、今回のこの考えだけはどうも異なる。「君はどうだろうか」という問い、突き詰めて言えばその問いの「君は」という部分に、随分と重きを置いてしまっている。

 春が好きだったら良いだろうな、と思う。けれどたぶん、それは違う。

 「僕は君が好きだ。君はどうだろうか」

 突如として、春の思考を飛び越えて、そんな思考に達する。いかにも幼稚な昇華であり、いかにも大切な昇華でもある。

 春の匂いが訪れるまでに。春を笑って過ごせるように。

 きっとこの思考は姿を変え、具体的な事象として動き、暗闇の中で春を待つ。

 静かな息吹だけを携えながら、進む。

 確かなタイミングと、確かな心を、合わせる。

 「好きな季節は、いつですか」

 僕は、春。

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 春に関する何かを書きたいと思って、ただつらつらと書き連ねた言葉達。

 冬の彩から春の彩に変わる。冬の匂いから春の匂いに変わる。冬の心から春の心に変わる。

 今年の春は、良い春になれば良いなぁと、想う。     circus

2008年2月 7日 (木)

 突然、うららか過ぎるほどになめらかな歌が聞こえてきたと思ったら、木漏れ日の中に君はいた。どこかで聞いたことがあるような無いような、何の歌かは浮かんでこないが、とてもやさしい歌だった。

 「その歌は、何ていう歌だったかな?」

僕は自分の出来うる限り柔らかな声で尋ねた。本当は口を挟みたくなかったが、君に話しかけたい気持ちが勝ってしまった。

 「嫌い?」

今度も突然歌うことを止め、僕に返してきた。

軽く木漏れ日が揺れた。

 「そんなことはない。」

 「じゃあ、よかった。」

君はそっと微笑んだ。かの歌は、特に好きというわけではなかったが、確かに嫌いではなかった。君は少しだけ眩しそうに目を細めながら、再び歌い始めた。

君が一体何曲歌ったか、分からなくなった。それらの中に知っている歌もいくつかあったが、大半はやはり記憶の曖昧な歌達だった。僕は、君の隣の木漏れ日に場所を移した。けれど、話しかける気持ちはもうしなかった。その必要はとうに消えうせていた。

 「退屈かしら?」

 「え?」

歌の途中で、まさか君から言葉を出すとはまったく考えていなかったから、驚いて返事が出来なかった。

 「あなたは、私といて、退屈かしら?」

君はより噛み砕いて、そしてわずかに不安げに僕に投げかけた。

ぐっと、木漏れ日が揺れた。

 「全然、退屈じゃない。」

君は言葉ひとつ返さなかった。その代わりに、前よりも大きく微笑み、そして歌の続きを歌いだした。退屈なわけが無かった。もちろん、僕と君との間では、ほとんどと言っていい位に生産的な、建設的な活動は行われていなかったが、それは退屈かどうかとは別次元の問題だった。

 「むしろ、楽しいさ。」

僕は、自分に言い聞かせるかのごとく呟いた。当然、そこに嘘は無かった。

静かに木漏れ日は揺れ、静かに君は歌い続けた。

 「もっとずっと、この声で歌を聴いていたい。」

君はゆっくりと微笑み、またやさしい歌を歌い続けた。

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 今の心持ちというか、感情というか、そういったものが滲んで出てしまっている。

 こと創作している文章に関しては、少なくとも自分の視点としては、自分のリアルな感情はあまり関わらせないようにしているのだけれど、時にこうなってしまう。

 優しい声が、聴きたい。     circus

 

2007年12月 1日 (土)

ファインダー

 「シャッターをね、下ろす瞬間が、たまらないんだ」

 君は黙々と様々な方向にカメラを向けながら、嬉々として言う。君がファインダー越しに覗いている景色は、僕には正確には分かる筈もないのだけれど、その世界を想像してしまう。否、想像せずにはいられない。そうしないことには、僕はこの空気を楽しむことが出来るわけがない。

 「重いような、軽いような、なんとも言えない音がね。そしてシャッターボタンの感触も」

 僕もカメラは人並み以上に好きだし、色々な自論も持っているから、君の言う感覚は掴める。というよりも、確かに君のいうそれは、カメラの魅力の大きな一つ、それも中枢にある部分の一つと言っても過言ではない気がする。

 例えばシャッターボタンを押す瞬間、その感触がまるで豆腐に指を突っ込むような感触だとしたら。あるいは、シャッターが下りる瞬間、その音がまるでαゲルに卵を落としたような音だとしたら。きっと世の中のカメラに対する流れは革命的に違っていたかもしれないし、その結果としての写真も決定的に違っていたかもしれない。世界に溢れる素晴らしい写真の数々は、生まれなかったのかもしれない。

 「撮っている間は、出来上がりが上手くいくのかどうかなんて、気にしないんだ。気にし始めると、二度とシャッターが切れなくなるから。だってそうでしょう? 毎度毎度自分の思い通りの写真を撮れる人間なんていないし、そんな撮り方をしていたら自分の想像以上の写真が撮れなくなってしまう。それほどつまらないことは、ないよね。目の前に広がっている世界は、ファインダーの先には、私達の想像よりも遥かに深くて美しくて、どこか闇を抱えていて、ああだこうだって複雑なものなんだから」

 基本的にフィルムカメラしか、使わない。君はデジタルカメラも持ってはいるけれど、それはデジタルカメラが使いたいからでは、ない。デジタルカメラを体験し、知っておくことで、フィルムカメラに対する姿勢や想い、その強さを自ら再認識し、受け入れ、現実的に力を注ぐことが出来るからだ。僕は、君からデジタル仕様の写真を見せてもらったことなんて、一度たりともない。それが、何よりの証拠だ。

 でも、僕は不思議に思う。デジタルは明らかに便利だし、現代ではクオリティも非常に上がっている。もちろん色合いの深みや、出てくる像の温かみなどはフィルムとは異なるし、どうしても無機質な雰囲気が漂ってしまうのはあるけれど、それを補って余りあるポテンシャルは持ちえているはずだ。ましてや、シャッターを下ろす段階においては、もはやフィルムと大差がないものだって、ある。

 「カメラが好きな人ってね、二種類いると思うんだ。カメラ自体が好きで、『写真を撮っている』という行為に最大の魅力を見出す人。それと、もちろんカメラ自体も撮る行為も好きだけれど、何よりもカメラを通した世界、写真を通した世界に最大の魅力を見出す人」

 どう考えても、君は後者だ。そして僕は「自分がカメラを使う前提において」は前者だ。僕は自分自身がカメラを構える際は、何故かそうなってしまう。世界を楽しむことよりも、シャッターを下ろすことそのものに楽しさを強く感じてしまう。それが、悪いというのではない。ただ、君とのベクトルが異なるというだけだ。しかしながら、それは表層的に悪くはないけれど、本質的には良くもない。

 『撮っているという行為』を楽しむ段階においては、フィルムもデジタルも関係はない。むしろ、デジタルの方が手間がかからないし、いくらでも撮ることが出来るし、申し分ない。シャッター音だって、酷くはない。かといって、僕もデジタルを使っているわけではないのだけれど。

 「どっちが良いとか、そういう問題じゃあないよね。でも私は、世界が見たいんだ」

 僕が君と同じファインダーを持っていたら、どれだけ素敵なことだろうと、想う。でもそんなことは下らない希望的観測、若しくは出来損ないの空想に過ぎない。

 「ありがとう、ごめんね」

 僕は紐のぶら下がったポラロイド690を取る。両手でそのカメラを握り締める。ゆっくりとファインダー越しに世界を覗く。その世界には、誰もいない。君もいない。左手で対象を定める。右手でシャッターボタンを覆う。

 下ろす。

 確かな今が、映し出される。

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 現実を言えば、デジタルカメラもフィルムカメラも、ポラロイドカメラも、僕は大好きだ。デジタルにはデジタルの趣があり、フィルムも然り。

 そのどれもに共通して言えることは、それは「今」を映そうとしているということだと、僕は思う。

 写真は、その「今」の切り取りであり、いわば「今」を切り取る際の副産物と言っても良い。

 今の僕のファインダーの先には、あまり良い風景は映っていないのかもしれない。

 でもそれは、変わる風景だ。流動的な、風景。

 カメラは、総てを映し出せる。     circus

2007年10月28日 (日)

ジャズ

 音とは空気の振動や塊りであり、風は空気の流れや塊りだ。振動と流れは物理的に言えば確実な違いはあるにせよ、一般の暮しの中では大層な違いがあるわけではなく、むしろ同じような存在として捉えることも、時としてはふさわしいような気がする。音とは空気の流れや塊りであり、風は空気の振動や塊りだ。

 つまり、心地良い音は心地良い風であり、心地良い風は心地良い音と言っていい。

 スウィングに身を委ねる。ビートに心を乗せる。コードに脳を捧げる。そうすることで、はぐれた欠片を拾い集め、砕けた粒を寄せ固め、散らばった真実を箱に詰める。あるいは、その工程を逆に辿る。どちらにしても、それらは僕を困惑から救い出し、焦燥など吹き飛ばし、希望を照らし出してくれる。大げさなように思えるけれど、本当のことだ。

 アーモンド、カシューナッツ、ピーナッツ、クルミ、そしてピスタチオ。それぞれが音を引き立て、風を巻き込む。ソルティードッグ、ブラッディーメアリ、モスコミュール、ジントニック、ピナ・コラーダ、そしてカルアミルク。それぞれが風を融け合わせ、音を包み込む。

 性別や年齢などなんの関係性も持たず、確かな一点で、一瞬で、一つになる。

 ピアノが弧を描く。ドラムスが宙を叩く。ウッドベースが時を弾く。たった3つのピースが、幾つもの複雑なハーモニーを生み出す。風の交差点、音の円。

 シックで、トレンディで、トラディショナルで、ポップだ。

 また、会える日まで。

 JAZZ。

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 驚くほどに、飛び交う文章。改めて読んでみると、僕のジャズに対する姿勢がなんとなく分かる。

 純粋だ。     circus

2007年10月17日 (水)

カタパルト

 「突風?」

 「いや、これは単なるそよ風に過ぎない。"とっぷう"は君が思うよりもっと、激しく、そして硬い。」

 「硬い?」

 「そうさ。こんなもんじゃあない。いずれ、分かる。」

 「でも、僕にとっては、十二分に厳しいんだけれどな」

 「厳しいには、違いない。しかしながらそれは、厳しいだけだ。決して激しくはないし、ましてや硬くもない。無論、"とっぷう"にしてみれば。」

 「随分と評価するんだね」

 「いいや、評価がどうの話じゃあない。あくまで、実質的な事実を述べているだけさ。」

 「なるほど、一応君の言う主旨は分かる。主旨は、ね」

 「それで構わない。さぁ、行こうか。」

 僕らは、旅立つ。

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 するすると、突風という言葉から始まり、さらさらと言葉を書き留めた文章。かなり、好きだ。

 ある種の、旅立ちの文章。それも、面白い。     circus

2007年6月22日 (金)

うまいひとたち

 「これはこれは、とてもけっこうな、こーひーですね」

 僕はいつだって、喉の奥の辺りにタブレットがほんの少し引っかかったような、気が気でない心持ちになる。フクロウは誰が相手でも、どんな時でも、こういう喋り方をするのだろうか。あるいは、僕のところにやってくるフクロウだけが特別なのか、そんなことは分からない。

 フクロウはとても丁寧に言葉を発する。一つ一つの言葉をくっきりと、必要以上にフクロウなりの文節を強調し、敬語を忘れることが無い。複雑な単語は使わないし、決して語気を荒げたりもしないし、囁くように優しく空気を揺らす。ある意味においては、マナーの塊と言っても良いと思う。多くの人は、好印象を抱くと思う。でも僕にとっては、その安定性と柔軟性、落ち着き払った話し方が妙に焦りを誘発し、混乱を招く。フクロウ的に言えば、ごく単純に「気に入らない」というだけかもしれないけれど。

 「いやいや、ほんとうに、おいしいこーひーです」

 フクロウは返答があるまで、何度でも同じ話題を繰り返す。

 「それはどうも。ゆっくりと淹れた甲斐があるよ」

 僕は耐え切れずに笑顔を作り、返す。

 「まめは、どこのくにの、ものですか」

 「東ティモール。まだまだ未成熟なコーヒー国だけど、悪くない豆を作る」

 「きっと、とおいくになんでしょうね。わたくしはにほんから、でたことがありません、はずかしながら」

 「何も恥ずかしいことなんかないさ。日本にいれば、大抵が事足りる。僕達だって、こうして東ティモールのコーヒーを飲むことが出来ている」

 日本出身のフクロウは初めてだ。この前現れたフクロウは南米だと言っていたし、その前はオセアニアだと言っていたような気がするけれど、違いがそれほど、いやほとんど全く掴めない。それにしても、なんだって僕はこんな昼間っから、語り合わなければならないのだろう。フクロウは夜行性だと言うけれど、とんでもない。猫を被っているに過ぎないのだ。でもそれもこれも、僕が昨日油断していたせいだから、どうしようもない。

 昨日僕は、映画を見ていた。ゾウの出てくる映画だ。ドキュメンタリーとアートの間を縫うような映像で、自然の神秘を撮っていた。基本的には、ゾウとヒトを中心として進む。そこではゾウはヒトと対等で、もしくはヒトよりも賢く尊い存在としてゾウが成り立ち、僕達が日常の生活では吸い込まないような空気を、作り出していた。少なからず僕は、多くの哲学的事項に思いを巡らせ、浅はかながらも思考を深めたりした。そうしてゾウの映像は滞りなく進み、シーンが変わった。ゾウが主体の映画ではあっても、その他にチンパンジー、ヒョウ、コンドルも出てくる。その、コンドル。

 「きれい、ですね」

 コンドルが素晴らしい滑空を見せ、その周りを女性が美しく舞っている映像。その時、ふと後の席から声がしたのだ。僕は映像にこれでもかというほどに熱中していた上に、本当にその舞いが綺麗だったから、それがフクロウの声だなんて思いもしなかったのだ。今にしてみれば、確かにその時の声はやけに落ち着き払っていたし、平坦すぎるほどに素直だったし、紛れも無く目の前にいるフクロウの声なのだけれど。

 「素晴らしいと思う」

 「あなたも、そう、おもわれますか、やはり」

 「ええ、これは素晴らしい」

 「わたくしは、このすばらしさについて、もっともっと、かたれます」

 「僕もそうだな」

 「このすばらしさいがいも、もっともっと、かたれます」

 「右に同じ」

 「いかがですか、あしたにでも」

 そんな風な具合だったと思う。なにぶん、映像に意識を集中していたから細かくは憶えていない。そこで僕は「構わないよ」と言ってしまったのだろう。そうフクロウが言っていた。僕はアドレスを教えていないのに、フクロウがどうやってここにたどり着いたのかは気になるけれど、起きてしまったことは悔やんでも始まらない。

 「ところで、今日は何について語り合うのかな」

 これ以上コーヒーについて話していても進展が見られそうに無いから、僕は無理にでも本題に移したいのだ。

 「さくじつのえいがについて、でもよいのですが、じつはおりいった、おはなしがございまして」

 ただでさえ丁寧なフクロウが、さらに改まっている。

 「じつはその、これを、かっていただきたくて」

 いそいそとフクロウは小さな銀色の梟を取り出した。まるで自らを縮小したような梟。見たところ、純銀ではないように思える。

 「これは、材質は何かな」

 「しるばー、はっぴゃくです。じゅんぎんもよいのですが、あえてここは」

 なるほど。ここまで細かい加工をするのには、スターリングシルバーではちょっと厳しい。それなりの削りの強さに耐えられるシルバー800でなければ。それでもスターリングシルバーよりも強く輝いて見えるのは、おそらく表面にロジウムか何かのコーティングを施しているのだろう。贔屓目なしに、随分とまともなものだ。

 「とても綺麗な梟だ」

 「そうでしょう、そうでしょう。これを、かっていただきたいのです」

 「でも、それは出来ない」

 驚きを隠せなかった。まさか、フクロウがセールスの勧誘とは予想だにしなかった。正直なところ、ものの判断でさえいけば、僕はその梟を買っても良いと思った。むしろ、手元に置いておきたいという欲求は、確かに顔を出した。

 けれど、そういうわけには行かない。第一に、フクロウからものを買うということに、どういう意味があり、果たしてどういう危険性や可能性があるのかが知りえない。第二に、これ以上フクロウに関わる機会を伴う要素を、わざわざ増やしたくは無い。そして第三に、今の僕の経済状況に質の良いシルバーを買うほど、余裕は無い。第三の理由が、他の二つよりもいかに大きく、優先されることかは言わずもがなだ。

 「そんな余裕はないんだ」

 僕は正直に言った。ここで見栄をきったところで、なんの意味も持たない。確固たる意思と、それを形成する基と鳴る理由を提示し、もうこの状況を終わりにしてしまいたかった。フクロウの喋り方は、やはり頭の後ろのほうにムズムズとした粉を混ぜ込むように、僕をソワソワさせるからだ。けれど、フクロウは折れない。

 「おかねは、いりません。わたくしは、いりません」

 「そうは言ってもね、貰うというのも気が進まないし」

 「いえ、さしあげるわけには、いきません。かって、いただかないと」

 「だから、余裕は無いんだよ」

 「ですから、おかねは、いりません」

 フクロウが何をしたいのか、理解が出来ない。金はいらないけれど、買わなければならない。どういうことなのだろう。いずれにせよ、僕はスタンスを崩しはしないけれど。

 「ひとこと、いただければ、いいのです」

 「一言」

 「そうです、ただ、ひとこと、かった、と」

 「それで君は何かを手に出来るのかな。僕にはそのシルバーに等しいほどの価値があるとは、思えない」

 常識的に考えて、僕の意見が正しいと思う。ただ「買った」と一言いうだけで、売買契約を終了させるなんて、おかしな話だ。タダより怖いものはないけれど、中途半端な条件だって同じように怖いに決まっている。

 「わたくしは、せいしんてきな、たいかがもらえれば、それでよいのです」

 「精神的対価ね」

 フクロウにしては、複雑な言葉を使う。おそらくは、僕の発した言葉に合わせてのことなのだろう。もとよりフクロウの知的レベルは非常に高いのだから、当然といえば当然かもしれない。

 「つまり、僕が満足して、喜んで、幸せを感じて、その上で君に買ったといえば、君は十分ということなのかな」

 「おっしゃるとおり、です。さすが、わかっていらっしゃる。わたくしたちは、そうして、いきているのです」

 私達? 生きている? 

 「食べて生きているんじゃないの」

 「いいえ、たべません。もちろん、たべるものたちも、います。でも、そういうものたちは、ほんのひとにぎりです」

 「何も、食べないの」

 「たべません。ただ、せいしんてきたいかを、たべているといえば、たべているのかもしれませんが」

 「そうやって生きているのは、どれくらいいるの」

 「せいかくなかずは、わかりませんが。たぶんぜんたいの、きゅうじゅうごぱーせんと、くらいかと」

 やれやれ。僕がこれまで日常で見てきて触れてきたフクロウは、5パーセントだというのか。それで、残りの95パーセントが、今のようにして生きていると。これまでに会ったフクロウは、そんなこと、言わなかったじゃないか。

 「きっと、うまいひとたち、だったんでしょう」

 フクロウは告げる。そう言われてみれば、前のフクロウは梟柄の生地を3メートル、その前のフクロウは梟印のステッカー、その前は梟の形のクッキーを置いていっていた。僕はそれらをフクロウから買ったつもりもないし、貰ったつもりもないのだけれど、フクロウが去った玄関に置いてあった。

 「やっぱり、うまいひとたち」

 フクロウ曰く、買うとか貰うとかの概念を一切出さずに、いかにも日常的な会話の中で、精神的対価を取っていたらしい。そしてその証として、生地やらステッカーやらクッキーを、勝手に置いていく。フクロウ曰く、「うまいひとたち」。

 「わたくしには、それが、いつもできません。だから、こうして、おねがいするのです」

 「そうなんだろうね。大変だろうけど」

 「たいへんです。ことわられることも、しばしば」

 「苦労してるね。営業職だ」

 「はい。と、いうことで」

 結局、僕は受け取ってしまった。今テーブルの上に、シルバーの梟が佇んでいる。フクロウは「ありがとう、ございました。また、あえるひまで」とこれまた丁寧に帰っていった。今回の精神的対価で、どれくらいフクロウは生きるのだろう。

 でも僕は、最後まで「買った」とは言わなかった気がする。とすれば、あのフクロウもこれまでのフクロウ同様、いつの間にか精神的対価を会話から受け取ったということだろうか。考えれば考えるほど、その辺りの曖昧さが、フクロウの正確性や律儀さとうまく噛み合わずに、唸ってしまう。

 ともかく、今回のフクロウも結果としては「うまいひとたち」だったということか。

 僕は思う。フクロウも、悪くないな、喋り方を除けば。

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 文章の難しさを再認識する。書きたいモノと、書けるモノのギャップは、やはり大きい。後天的な理由もあれば、やはり先天的な理由もある。後天的な理由は「経験」と呼ばれ、先天的な理由は「才能」と呼ばれ、その二つを繋ぎ合わせるモノは「努力」と呼ばれたりするけれど。

 僕にはどちらも欠如しているのは分かっている。少しでも、その欠如を埋めていければとも思う。

 書く。     circus

 

2007年5月16日 (水)

風船

 落し物は交番に届けなければならない。幼少の頃から、家庭でも学校でも社会でもそう教えられてきた。教えられてきたことが何から何まで真実であるとは限らないし、盲目に信じてはならないと思うけれど、いずれにせよ現代の世界のシステムの中では、多くの場合において正しいとは思う。不思議なのは、僕の落し物が帰ってきた経験は、全くないという点だけだ。

 拾った。丁度手の上に収まるサイズに膨らんだ、風船。材質はどう見ても紙ではないが、いかんせんゴムだとも断定しづらい。表面の弾力の質感が、妙にざらつきつつしっとりしているからだ。どことなく、砂にまみれた軟球のテニスボールを喚起させるけれど、実際のところはそれとも微妙に異なる。ひんやりとした感触が、心地良くも気味が悪い。それにしても、僕はこれを風船と呼んだけれど果たして本当に風船なのかは分からない。なにせ、空気を送り込む送風口がない。しかし、今まで得てきた知識と経験をかき集め、それぞれと照らし合わせてみると風船と言わざるをえない。だからとにかく、僕は風船を拾った。便宜的に。

 交番には届けなかった。なぜなら、落し物ではなかったからだ。けれど僕は確かに拾ったのだ。風船は、今時はもう珍しい、歩道橋の下に捨てられているゴミの中にあった。自転車に乗って食材の買出しに行く道すがら、横目で歩道橋を見ると、風船があった。我ながら、よく気がついたと思う。あるいは、我ながら、なぜこんなものに気がついたのだろうとも思う。

 薄いカーキグレー。そこそこの明度を保った色味をしている。透過性はない。弾力の性質からいくと、やはりたぶん中には空気が詰まっているように思うけれど、それさえも定かではない。非常に軽い。風船だと意識してみたとしても、軽い。楽に持って帰ることが出来た。買い物を途中で引き返してしまったのは痛いけれど、明日に回せばいい。

 それほどまでに風船を大切に思った理由は分からない。ゴミとして捨てられていたのに、だ。難しいことをとやかく考える前に、僕は既に拾ってしまっていた。そして今、目の前に風船は転がっている。

 買い物を切り上げてしまったから、夕飯は質素に済ませるしかない。とりあえず、中華風の冷奴、レタスと新タマネギをポン酢ベースに梅肉としらすを加えたサラダ。薄切りの豚肉を簡易的にしょうが焼きにする。味噌汁はインスタントで済ませる。本意ではないが、仕方がない。それだけを用意し、氷水を持って食卓へ向かう。

 ……ズザッ…………ズズッ……。音がする。僕は振り向く。何かがおかしい。さっきまでの光景と、何処かが異なっている。目を凝らしてみる。そうだ、風船だ。ほんのわずかではあるが、風船が、膨らんでいる。どういうことだろう。空気を送ってなどいないし、まして、そもそもこの風船には送風口なんて見当たらないのだ。気のせいなのだろうか。

 夕飯を済ませる。心持ちがおかしいからか、味があんまり感じられなかった。さっさと後片付けを終える。テレビのスイッチを入れる。あまり面白いプログラムがない。諦めてテレビを消す。よく考えてみれば、そんなことをしているよりも、風船だ。

 先ほどから特に変化はないようだ。今のうちに、直径を計ってみる。15センチメートルジャスト。目の前に転がっている姿を見ると、少々不気味に思えてきたが、それでも捨ててしまおうという気持ちにならない。僕はこの風船に何を求め、何を認めているのだろう。

 そういえば、丸いものを好む傾向にあるかもしれない。ドット柄も好きだし、水玉模様も好きだ。とんがったオブジェをおくよりも、丸みを帯びたオブジェを置きたい。丸の魅力を考察する。滑らかさや柔らかさを持ち、それが母体を彷彿とさせるのかもしれない。不安定に見えて頑なな安定さを保つ、それが羨ましいのかもしれない。もしかしたら、丸に魅力があるのではなく、他の形態に魅力が足りていないのかもしれない。

 終わりのない考察をしていると、再び音がした。……ズズッ…………ズズズッ……。見た。今度こそ、明らかに膨らんでいる。僕は今、その瞬間を目にした。やはりほんのわずかではあるけれど、確かに風船は膨らんだ。試しにサイズを測る。17センチメートル。間違いない。

 そんな日々が続いた。一ヶ月は過ぎただろうか。その間、気がつけば風船は膨らみ、徐々に形が変化してきた。初めは完全に丸型だったわけだけれど、今は幾分細長い。こうして見ている今も、少しだけれど膨らんでいる。ペースは上がっている。完全な丸型ではないくなっても、僕は手放さなかった。この風船の成れの果てを、見てみたくなったからだ。

 やはり形の変化を遂げる日々が続いた。拾った日から半年ほど経過した。風船は、ついに僕の身長と同じくらいの大きさになった。そして形も複雑化している。サボテンのような、トーテムポールのような。弾力の性質も変化してきたように思う。少しばかり、硬くなってきた。表面に関してはともかく、内部の感触が妙に硬い。まるで、何か中に芯を入れたような硬さ。

 風船は存在感を示している。気配、とでも言おうか。一人暮らしの生活には感じられない空気。ペットを飼うと、こういう気分になるのだろうか。僕の横にあるペットと捉えるべきものは、いささか大きすぎるけれど。特に良い気分ではない。でも悪い気分でもない。

 そうしてまた、しばらく時が過ぎた。拾って、一年は経つそんなある日の夜だった。

 風船はガタガタと動き始めた。これまでにない激しい動きだ。まるで木のように成長していた風船が、もの凄いスピードで変化している。グニャグニャ、ではない。バキバキ、という音をたてて。これまで安定していたカーキグレーの色も、急速に変化が始まった。赤、青、緑、オレンジ、ピンク、茶、黒、白…………ある地点で色の変化は止まる。黄みがかったベージュ、どこか慣れ親しんだような色味。その間も、バキバキと不穏な音をたてて形は定まらない。

 僕はどうすることも出来なかった。ただただ、風船を前にして立ち尽くしていた。人間、あまりにも捉えようのない事実が起こると、まじまじと観察し、身動きを忘れるものなのだろうか。僕はとにかく、風船を見つめていた。次第に、風船の形が定まっていく。

 気付いていた。音がパキパキと小さなものになり、形の変化が終盤に近づく頃には、風船が形作っているのが何なのか、僕は気付いていた。ヒトだ。頭があり、腕があり、胴体があり、足があり……目、耳、口、性器、爪、髪……ヒトを形作っている。

 鏡。僕は鏡を見るのがあまり好きではない。別に自分の顔を見ていたって面白くもなんともないし、スタイルだってガッカリするだけだ。だから、家には鏡がほとんどない。洗面所を除いて。全身鏡など、もってのほかだ。あれはデパートメントストアで見ればいい。

 立ち尽くす僕の目の前に、僕が立っていた。クローン。風船は、完全にヒトであり、僕になっていた。肌の色―道理で慣れ親しんだ色味に見えたはずだ―、ホクロの位置、皺の深さ、毛穴の大きさ……こと総てが合致していた。なるほど、僕は頷く。

 「どうも」

 彼―便宜的に彼と呼ぶほかはないだろう―は声を発した。聴きなれた音質。

 「どうも」

 僕は答える。どことなく体の中心あたりが、ムズムズする。胸の底から、息が締め出される感覚もする。内臓が収縮していくイメージが沸きあがる。全身の力が抜ける。決して苦しくはない。むしろ、どことなく落ち着いた安らぎすら覚える。徐々に意識がぼんやりとしてくる。はっきりしているけれど、ぼんやりと。カメラのピントが合わないみたいに。

 「じゃあ」

 彼が話しかけている。返事をしなければ、と思う。しかし、口が思うように開かない。皮膚の神経が巧く働かない。いつの間にか、僕は彼を見上げている。

 「うん」

 締め出すように、それだけを呟く。視界も狭まってきた。身動きも取れない。

 微かに彼の眼の中に映る、モノを見つける。あぁ、風船だ。あの風船だ。軟球のテニスボール、カーキグレー。

 否、彼は彼ではない、僕だ。新しい僕は、風船を持ち上げる。体が随分と軽くなった。身を任せる。

 僕は風船を片手に自転車に乗る。歩道橋の下へたどり着く。積み重なるゴミの上へ、そっと置く。

 僕は遠ざかる。

 僕は、新たな僕を待ち続ける。

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 すごく時間がかかった。最後のあたりは、特に。自分でも段々、どういう文章を書いているのか分からなくなったほどだ。でも、きちんと仕上がったと思う。

 この文章も、もっと根を詰めて書くと、随分と長いものになると思う。こんなに短くまとめてしまったのは、もしかしたら不適格かもしれない。

 この文章に、教訓などない。というより、僕の書く文章に教訓などない。けれど、そこから何かを感じてもらえることがあればいいと思い、書く。     circus

2007年5月 5日 (土)

やれやれ

 溜め息を吐く事で、何かが解決してくれるなら、いくらでも吐こうと思う。

 でも、世の中はそんなもんじゃあ、ない。

 溜め息なんて吐いたところで、一つとして解決に向かう光が見えるわけではないし、むしろそれは無意味な闇を引き出してしまうに過ぎない。

 分かっていても僕は同じ事を繰り返してしまう。溜め息を吐いてしまう。

 身を殺がれる。愚かさや拙さ、未熟さや無力さに。これまでとは違う、それぞれの重みに。身を、殺がれる。

 そしてその度に、溜め息を吐いてしまう。格好悪い音で。

 格好良い音の溜め息を吐けるようになりたい。

 つまりは、愚かさや拙さ、未熟さや無力さによるものでない、溜め息。

 笑顔や喜び、優しさや幸せから生まれる、溜め息。

 ―やれやれ―

 何年後だろう、何十年後だろう。

 きっと、いつか。

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 自らの溜め息が、あまりにも情けないので出てきた文章。

 入り口で躓く僕は、もがいている。果たして入り口が正しかったのか、そこまで考えてしまう。

 でも、僕の描く世界には、今のこの状態は不可欠で。

 独りでもがくのは、いささか厳しい。

 厳しい。     circus

 

2007年4月18日 (水)

呟く

 ―どこか知らない遠くへ行けたら―、そんなことを考えていた。同時に僕には帰る場所など無いと思っていた。さらに言えば、僕を待ち受け入れてくれる人もいないと感じていた。それはこれまでの場面ではいつでも「真」だったし、逆に言えば僕の捉え方が間違っていたことは無かった。

 僕は、独りだった。

 純粋に独りだという意味ではないかもしれない。僕には普通に家族もいるし、親戚もいるし、同僚もいるし、僅かだけれど友達もいた。でも僕がいう独りというのはつまり、いわば数量の問題などではなく、もっとセンシティブな問題で、ずっとメンタリティの問題だ。

 壁を作っていた。一定以上に触れ合うこともなければ、馴れ合うこともないように。もちろん、幾度の恋愛はしたけれど、それでも僕はある意味での壁を崩さなかった。一般的に見れば、なんて性格の悪い人間だろうと思う。しかし、確かにそれが僕であることはどの角度から考えても事実だった。

 遠くへ行こうとしても、現実としてそう上手くは行かないものだった。この世の中、金がなければ生きていくことは出来ないし、その金は空から勝手に降ってきたりしないし、まして土から生えて来ることもない。働いていなければ、この生命を維持することは出来ないのだ。僕は延々と長生きしたいとは全く思っていなかったけれど、早く死にたいとも思わなかった。きっと、何か希望を持っていたのだと思う。

 その希望が、形になったのだろうか。

 ある人に出会った。かつての同僚といっていいだろう。共に時間を共有し、共に志を抱きあったこともあったと思う。当時の僕は、その人を珍しく気に入っていた。当然だけれど、壁は残したままだったが。でもなんのことはない、いつも通りの人間関係を築いたに過ぎない。改めて出会ったのは、そういう人だった。

 他愛もない会話を交わした。内容だけ取ってみれば、表現は適切だ。端から見れば本当に大したことのないものだっただろう。「お元気ですか」、「もちろんです」。そういうレベルだ。

 でも、僕にとっては。

 会話の内容ではなくて、その全体の総じた空気がすごく特殊だった。彼女はずっと以前と変わらぬ、否、以前よりもさらに心地良い笑顔を浮かべていたし、何よりも言葉の現れ方が柔らかく優しかった。これまでに感じたことのない優しさだった。彼女の何がそうさせているのかは分からない。それでも僕の心は震えた。

 彼女とささやかに触れ合った瞬間に、僕は感じた。これまでの僕は、大きな思い違いをしていたことに気付かされた。それは僕が壁を作っているかどうかなんて、関係ない。壁さえも超越した感情だった。

 「僕は独りで、帰る場所も、受け入れてくれる人もいないのではなかったのだ。僕はこれまで、自ら独りを演出し、帰る場所を拒み、受け入れてくれる人を遠ざけていたのだ」

 壁を作っているなどと考えていたのは、その演出や拒絶、あるいは疎遠を正当化しようとした結果に過ぎないのだ。なんて愚かなことだろう。なんて浅はかなことだろう。

 僕は遠くへ行く必要なんて、ないのだ。

 声にならない声で、想いを超えた想いを、僕はここで呟く。

 願わくば、届けばいいと思う。願わくば、今度は直接届けに会いに行こうと思う。

 でも今はとりあえず、ここで呟く。

 ありがとう。

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 恐ろしいくらいに纏まりのない文章だ。ここ最近の中でも、抜群に文章としては不出来かもしれない。でも。

 よく考えてみれば、世界の多くはこれくらい纏まりに欠けたものなのではないだろうか。だから、思いついたままに文章とした。

 こういう文章のような出来事は、現実にも起こりうる。ふとした瞬間、端から見ればどうでもいいような時に、胸を震わす何かが起こり、感情を揺さぶり、思考を変化させる。

 なんだか不思議な心持ちのする文章になってしまった。そういうこともある。     circus

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