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2007年6月22日 (金)

うまいひとたち

 「これはこれは、とてもけっこうな、こーひーですね」

 僕はいつだって、喉の奥の辺りにタブレットがほんの少し引っかかったような、気が気でない心持ちになる。フクロウは誰が相手でも、どんな時でも、こういう喋り方をするのだろうか。あるいは、僕のところにやってくるフクロウだけが特別なのか、そんなことは分からない。

 フクロウはとても丁寧に言葉を発する。一つ一つの言葉をくっきりと、必要以上にフクロウなりの文節を強調し、敬語を忘れることが無い。複雑な単語は使わないし、決して語気を荒げたりもしないし、囁くように優しく空気を揺らす。ある意味においては、マナーの塊と言っても良いと思う。多くの人は、好印象を抱くと思う。でも僕にとっては、その安定性と柔軟性、落ち着き払った話し方が妙に焦りを誘発し、混乱を招く。フクロウ的に言えば、ごく単純に「気に入らない」というだけかもしれないけれど。

 「いやいや、ほんとうに、おいしいこーひーです」

 フクロウは返答があるまで、何度でも同じ話題を繰り返す。

 「それはどうも。ゆっくりと淹れた甲斐があるよ」

 僕は耐え切れずに笑顔を作り、返す。

 「まめは、どこのくにの、ものですか」

 「東ティモール。まだまだ未成熟なコーヒー国だけど、悪くない豆を作る」

 「きっと、とおいくになんでしょうね。わたくしはにほんから、でたことがありません、はずかしながら」

 「何も恥ずかしいことなんかないさ。日本にいれば、大抵が事足りる。僕達だって、こうして東ティモールのコーヒーを飲むことが出来ている」

 日本出身のフクロウは初めてだ。この前現れたフクロウは南米だと言っていたし、その前はオセアニアだと言っていたような気がするけれど、違いがそれほど、いやほとんど全く掴めない。それにしても、なんだって僕はこんな昼間っから、語り合わなければならないのだろう。フクロウは夜行性だと言うけれど、とんでもない。猫を被っているに過ぎないのだ。でもそれもこれも、僕が昨日油断していたせいだから、どうしようもない。

 昨日僕は、映画を見ていた。ゾウの出てくる映画だ。ドキュメンタリーとアートの間を縫うような映像で、自然の神秘を撮っていた。基本的には、ゾウとヒトを中心として進む。そこではゾウはヒトと対等で、もしくはヒトよりも賢く尊い存在としてゾウが成り立ち、僕達が日常の生活では吸い込まないような空気を、作り出していた。少なからず僕は、多くの哲学的事項に思いを巡らせ、浅はかながらも思考を深めたりした。そうしてゾウの映像は滞りなく進み、シーンが変わった。ゾウが主体の映画ではあっても、その他にチンパンジー、ヒョウ、コンドルも出てくる。その、コンドル。

 「きれい、ですね」

 コンドルが素晴らしい滑空を見せ、その周りを女性が美しく舞っている映像。その時、ふと後の席から声がしたのだ。僕は映像にこれでもかというほどに熱中していた上に、本当にその舞いが綺麗だったから、それがフクロウの声だなんて思いもしなかったのだ。今にしてみれば、確かにその時の声はやけに落ち着き払っていたし、平坦すぎるほどに素直だったし、紛れも無く目の前にいるフクロウの声なのだけれど。

 「素晴らしいと思う」

 「あなたも、そう、おもわれますか、やはり」

 「ええ、これは素晴らしい」

 「わたくしは、このすばらしさについて、もっともっと、かたれます」

 「僕もそうだな」

 「このすばらしさいがいも、もっともっと、かたれます」

 「右に同じ」

 「いかがですか、あしたにでも」

 そんな風な具合だったと思う。なにぶん、映像に意識を集中していたから細かくは憶えていない。そこで僕は「構わないよ」と言ってしまったのだろう。そうフクロウが言っていた。僕はアドレスを教えていないのに、フクロウがどうやってここにたどり着いたのかは気になるけれど、起きてしまったことは悔やんでも始まらない。

 「ところで、今日は何について語り合うのかな」

 これ以上コーヒーについて話していても進展が見られそうに無いから、僕は無理にでも本題に移したいのだ。

 「さくじつのえいがについて、でもよいのですが、じつはおりいった、おはなしがございまして」

 ただでさえ丁寧なフクロウが、さらに改まっている。

 「じつはその、これを、かっていただきたくて」

 いそいそとフクロウは小さな銀色の梟を取り出した。まるで自らを縮小したような梟。見たところ、純銀ではないように思える。

 「これは、材質は何かな」

 「しるばー、はっぴゃくです。じゅんぎんもよいのですが、あえてここは」

 なるほど。ここまで細かい加工をするのには、スターリングシルバーではちょっと厳しい。それなりの削りの強さに耐えられるシルバー800でなければ。それでもスターリングシルバーよりも強く輝いて見えるのは、おそらく表面にロジウムか何かのコーティングを施しているのだろう。贔屓目なしに、随分とまともなものだ。

 「とても綺麗な梟だ」

 「そうでしょう、そうでしょう。これを、かっていただきたいのです」

 「でも、それは出来ない」

 驚きを隠せなかった。まさか、フクロウがセールスの勧誘とは予想だにしなかった。正直なところ、ものの判断でさえいけば、僕はその梟を買っても良いと思った。むしろ、手元に置いておきたいという欲求は、確かに顔を出した。

 けれど、そういうわけには行かない。第一に、フクロウからものを買うということに、どういう意味があり、果たしてどういう危険性や可能性があるのかが知りえない。第二に、これ以上フクロウに関わる機会を伴う要素を、わざわざ増やしたくは無い。そして第三に、今の僕の経済状況に質の良いシルバーを買うほど、余裕は無い。第三の理由が、他の二つよりもいかに大きく、優先されることかは言わずもがなだ。

 「そんな余裕はないんだ」

 僕は正直に言った。ここで見栄をきったところで、なんの意味も持たない。確固たる意思と、それを形成する基と鳴る理由を提示し、もうこの状況を終わりにしてしまいたかった。フクロウの喋り方は、やはり頭の後ろのほうにムズムズとした粉を混ぜ込むように、僕をソワソワさせるからだ。けれど、フクロウは折れない。

 「おかねは、いりません。わたくしは、いりません」

 「そうは言ってもね、貰うというのも気が進まないし」

 「いえ、さしあげるわけには、いきません。かって、いただかないと」

 「だから、余裕は無いんだよ」

 「ですから、おかねは、いりません」

 フクロウが何をしたいのか、理解が出来ない。金はいらないけれど、買わなければならない。どういうことなのだろう。いずれにせよ、僕はスタンスを崩しはしないけれど。

 「ひとこと、いただければ、いいのです」

 「一言」

 「そうです、ただ、ひとこと、かった、と」

 「それで君は何かを手に出来るのかな。僕にはそのシルバーに等しいほどの価値があるとは、思えない」

 常識的に考えて、僕の意見が正しいと思う。ただ「買った」と一言いうだけで、売買契約を終了させるなんて、おかしな話だ。タダより怖いものはないけれど、中途半端な条件だって同じように怖いに決まっている。

 「わたくしは、せいしんてきな、たいかがもらえれば、それでよいのです」

 「精神的対価ね」

 フクロウにしては、複雑な言葉を使う。おそらくは、僕の発した言葉に合わせてのことなのだろう。もとよりフクロウの知的レベルは非常に高いのだから、当然といえば当然かもしれない。

 「つまり、僕が満足して、喜んで、幸せを感じて、その上で君に買ったといえば、君は十分ということなのかな」

 「おっしゃるとおり、です。さすが、わかっていらっしゃる。わたくしたちは、そうして、いきているのです」

 私達? 生きている? 

 「食べて生きているんじゃないの」

 「いいえ、たべません。もちろん、たべるものたちも、います。でも、そういうものたちは、ほんのひとにぎりです」

 「何も、食べないの」

 「たべません。ただ、せいしんてきたいかを、たべているといえば、たべているのかもしれませんが」

 「そうやって生きているのは、どれくらいいるの」

 「せいかくなかずは、わかりませんが。たぶんぜんたいの、きゅうじゅうごぱーせんと、くらいかと」

 やれやれ。僕がこれまで日常で見てきて触れてきたフクロウは、5パーセントだというのか。それで、残りの95パーセントが、今のようにして生きていると。これまでに会ったフクロウは、そんなこと、言わなかったじゃないか。

 「きっと、うまいひとたち、だったんでしょう」

 フクロウは告げる。そう言われてみれば、前のフクロウは梟柄の生地を3メートル、その前のフクロウは梟印のステッカー、その前は梟の形のクッキーを置いていっていた。僕はそれらをフクロウから買ったつもりもないし、貰ったつもりもないのだけれど、フクロウが去った玄関に置いてあった。

 「やっぱり、うまいひとたち」

 フクロウ曰く、買うとか貰うとかの概念を一切出さずに、いかにも日常的な会話の中で、精神的対価を取っていたらしい。そしてその証として、生地やらステッカーやらクッキーを、勝手に置いていく。フクロウ曰く、「うまいひとたち」。

 「わたくしには、それが、いつもできません。だから、こうして、おねがいするのです」

 「そうなんだろうね。大変だろうけど」

 「たいへんです。ことわられることも、しばしば」

 「苦労してるね。営業職だ」

 「はい。と、いうことで」

 結局、僕は受け取ってしまった。今テーブルの上に、シルバーの梟が佇んでいる。フクロウは「ありがとう、ございました。また、あえるひまで」とこれまた丁寧に帰っていった。今回の精神的対価で、どれくらいフクロウは生きるのだろう。

 でも僕は、最後まで「買った」とは言わなかった気がする。とすれば、あのフクロウもこれまでのフクロウ同様、いつの間にか精神的対価を会話から受け取ったということだろうか。考えれば考えるほど、その辺りの曖昧さが、フクロウの正確性や律儀さとうまく噛み合わずに、唸ってしまう。

 ともかく、今回のフクロウも結果としては「うまいひとたち」だったということか。

 僕は思う。フクロウも、悪くないな、喋り方を除けば。

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 文章の難しさを再認識する。書きたいモノと、書けるモノのギャップは、やはり大きい。後天的な理由もあれば、やはり先天的な理由もある。後天的な理由は「経験」と呼ばれ、先天的な理由は「才能」と呼ばれ、その二つを繋ぎ合わせるモノは「努力」と呼ばれたりするけれど。

 僕にはどちらも欠如しているのは分かっている。少しでも、その欠如を埋めていければとも思う。

 書く。     circus

 

2007年6月 3日 (日)

動く空を見上げる

強い風が吹く その中で君の眼を見つける

それだけでは不十分と 分かっていたはずなのに

強い風が吹く その中で君の手握り締める

それだけでも僕の心は 満たされてしまうんだ

「いつも いつでも この場所に留まれたなら 楽なもんだろう

けれど けれども 世の中はそれほど単純なもんじゃない」

そっと芝生に寝転んで ずっと動く空を見上げる

そうだ 僕と君は共に生きて きっと幸せに包まれる

淡い光射す 夢のような時が流れゆく

終わりの無い 僕の心は 弾けては飛んでゆく

「いつか いつかは 頷いて総て許せる日も来るだろう

けれど けれども 感情はそれほど綺麗なだけじゃない」

そっと芝生に寝転んで ずっと動く空を見上げる

そうだ 僕と君は共に生きて きっと幸せに包まれる

「今は 今では 複雑な言葉など要りはしないのだろう

けれど けれども 大切な想いは抱きしめてばかりじゃ 意味が無い」

そっと芝生に寝転んで ずっと動く空を見上げる

そうだ 僕と君は共に生きて きっと幸せに包まれる

共に動く空を見上げる 僕らは幸せを創り出す

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 つぎはぎの部分だけ出来ていた詩。そのイメージを保ちながら、言葉を足していった。結果として、「動く空を見上げる」という前に更新した文章と、コンセプトや感情が共通のものとなった。よって、必然的に動く空を見上げるという言葉を、使った。

 詩から文章が喚起されることもあれば、文章から詩が喚起されることもある。けれどそれは、確かに中枢の部分で繋がりが深くとも、完全に同じということはありえない。文章には文章にしか出来ない、持ち得ない力や意味があり、詩には詩にしか出来ない、持ち得ない力や意味があるはずだ。

 今回の詩は、結局のところやはり歌詞である。メロディーが付随した状態でこそ、完成された状態であるとも言える。けれど歌詞という形態だからといって、果たしてそれが詩としての機能や本質が無いかといえば、それは違うと僕は思う。

 あぁ、空が、見たい。     circus

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