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2007年4月18日 (水)

呟く

 ―どこか知らない遠くへ行けたら―、そんなことを考えていた。同時に僕には帰る場所など無いと思っていた。さらに言えば、僕を待ち受け入れてくれる人もいないと感じていた。それはこれまでの場面ではいつでも「真」だったし、逆に言えば僕の捉え方が間違っていたことは無かった。

 僕は、独りだった。

 純粋に独りだという意味ではないかもしれない。僕には普通に家族もいるし、親戚もいるし、同僚もいるし、僅かだけれど友達もいた。でも僕がいう独りというのはつまり、いわば数量の問題などではなく、もっとセンシティブな問題で、ずっとメンタリティの問題だ。

 壁を作っていた。一定以上に触れ合うこともなければ、馴れ合うこともないように。もちろん、幾度の恋愛はしたけれど、それでも僕はある意味での壁を崩さなかった。一般的に見れば、なんて性格の悪い人間だろうと思う。しかし、確かにそれが僕であることはどの角度から考えても事実だった。

 遠くへ行こうとしても、現実としてそう上手くは行かないものだった。この世の中、金がなければ生きていくことは出来ないし、その金は空から勝手に降ってきたりしないし、まして土から生えて来ることもない。働いていなければ、この生命を維持することは出来ないのだ。僕は延々と長生きしたいとは全く思っていなかったけれど、早く死にたいとも思わなかった。きっと、何か希望を持っていたのだと思う。

 その希望が、形になったのだろうか。

 ある人に出会った。かつての同僚といっていいだろう。共に時間を共有し、共に志を抱きあったこともあったと思う。当時の僕は、その人を珍しく気に入っていた。当然だけれど、壁は残したままだったが。でもなんのことはない、いつも通りの人間関係を築いたに過ぎない。改めて出会ったのは、そういう人だった。

 他愛もない会話を交わした。内容だけ取ってみれば、表現は適切だ。端から見れば本当に大したことのないものだっただろう。「お元気ですか」、「もちろんです」。そういうレベルだ。

 でも、僕にとっては。

 会話の内容ではなくて、その全体の総じた空気がすごく特殊だった。彼女はずっと以前と変わらぬ、否、以前よりもさらに心地良い笑顔を浮かべていたし、何よりも言葉の現れ方が柔らかく優しかった。これまでに感じたことのない優しさだった。彼女の何がそうさせているのかは分からない。それでも僕の心は震えた。

 彼女とささやかに触れ合った瞬間に、僕は感じた。これまでの僕は、大きな思い違いをしていたことに気付かされた。それは僕が壁を作っているかどうかなんて、関係ない。壁さえも超越した感情だった。

 「僕は独りで、帰る場所も、受け入れてくれる人もいないのではなかったのだ。僕はこれまで、自ら独りを演出し、帰る場所を拒み、受け入れてくれる人を遠ざけていたのだ」

 壁を作っているなどと考えていたのは、その演出や拒絶、あるいは疎遠を正当化しようとした結果に過ぎないのだ。なんて愚かなことだろう。なんて浅はかなことだろう。

 僕は遠くへ行く必要なんて、ないのだ。

 声にならない声で、想いを超えた想いを、僕はここで呟く。

 願わくば、届けばいいと思う。願わくば、今度は直接届けに会いに行こうと思う。

 でも今はとりあえず、ここで呟く。

 ありがとう。

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 恐ろしいくらいに纏まりのない文章だ。ここ最近の中でも、抜群に文章としては不出来かもしれない。でも。

 よく考えてみれば、世界の多くはこれくらい纏まりに欠けたものなのではないだろうか。だから、思いついたままに文章とした。

 こういう文章のような出来事は、現実にも起こりうる。ふとした瞬間、端から見ればどうでもいいような時に、胸を震わす何かが起こり、感情を揺さぶり、思考を変化させる。

 なんだか不思議な心持ちのする文章になってしまった。そういうこともある。     circus

2007年4月15日 (日)

日常

 天気予報は一日を通して雨を僕らに呼びかけていたけれど、結果としてはあくまで予報でしかなく、僕らにはほのかに暖かくいかにも春を喚起させる陽射しが、淀むことなく降り注いでいる。もし天気予報がもっと厳粛なもので、あるいは社会権利的なものだとしたら、この予報と現実のあまりの違いは罰せられるところかもしれない。でも、そんなことはどうでもいいことだろう。今、この瞬間が気持ち良いということを僕らは素直に享受すればいいのだ。難しいことは何一つとしてない。

 僕らは歩く。いつもの通りはいつの間にか、姿を少しずつ変える。昔は本当にしゃれっ気もなにもなく、でもどこか雰囲気が素敵な大通りで。今が果たしてそういう雰囲気を持たなくなったとは言わないけれど、少なくともより現代的な空気を纏わせるようになっている。考えようによっては、昔は昔なりの社会や世界の空気を纏っていて、それが単に現代の変化によって流動的に変化しているだけなのかもしれない。良いことなのかは判断は難しい。僕は今でもこの通りが、なんだかんだで好きだけれど。

 コンビニエンスストアもある。その隣にちょっとボロボロになった喫茶店もある。すごくナチュラルで爽やかな花屋もある。その向かいにはずば抜けてセンスの優れた雑貨屋もある。フレッシュな香りとまろやかな香りを常に吐き出すパスタ店もある。その向こうには変わらぬ味をずっと提供してくれている和菓子屋もある。鮮やかな緑を残すゆるやかな公園もある。裏側には風情に溢れた坂道もある。車がほとんど通らずに静かな交差点もある。先には急に輝きの増した信号機もある。

 この通りにはいろいろなものがひしめき合っている。それでもそれぞれの間隔が適切で、息が詰まることなく喜びの空間を創り出している。ある人にとっては退屈な光景かもしれない。無論、僕にとってはどこのどんな通りよりも馴染む場所なのだけれど。新宿にも渋谷にも、横浜にも二子玉川にも、浅草にも麻布にもこんな通りはないのだ。何処にでもありそうで、何処にもない通り。

 「優しい場所だね」

 君は駆け出す。僕はその後ろ姿にどうしようもない愛しさを感じる。とても無邪気に正直な君に、自然と頬が綻ぶ。僕は二重の意味で嬉しい。まずは君がこの通りを嘘偽り無く気に入ってくれて、褒めてくれたということ。そしてもう一つは、何よりも君が笑っていてくれているということだ。前者の嬉しさを1とすると、後者の嬉しさが10や20、それ以上なのは当然なことだ。

 「僕もそう思う」

 ゆっくりと歩を進めて君を追う。急ぐ必要なんてない。僕らは同じ時間で生きている。決して互いに早すぎることも遅すぎることも無い時間。歩幅やペースが異なりはすれども、僕らは同じ時間の枠組みで生きている。そしてそれを僕らは分かっている。時速一時間。なんてことないことかもしれない。でも、僕らにしてみればそれを理解して生きることによって、絶対なる安心感と甘えのない信頼を持ち合っている。

 この通りは季節がはっきりとしている。今は春だ。春にはそこらの木に桜が咲き散るし、陽射しを妨げるような無駄なコンクリートは存在しない。夏には満足できるほどの暑さも襲えば、回避するための日陰は充実している。秋には桜の部分とはまた別の区画で優雅な紅葉を楽しめるし、時には落ち葉で焼き芋を焼いたりもする。冬にはそこそこ雪が降り積もり、肌をつんざく確かな鋭さを空気は保っている。

 「でもまだ、こんなもんじゃないんだ」

 僕はこれからも君と、この通りを歩きたいと思う。アイスを片手に汗をかくのもいいだろう。木の葉を踏みしめ写真を撮るものいいだろう。互いに手を暖め合いイチゴドロップを食べるのもいいだろう。そしてまた、こうして駆ける君を僕が見つめる。ずっと、そうあればいいと思う。

 「こんなもんじゃないのが、日常になるの」

 君は何気なく僕に促す。なんて素敵な言葉だろうと感嘆に暮れる。君の言葉の一つ一つが、僕の心には強く刻まれる。複雑な表現など全くしない。どれもが、真っ直ぐな言葉達だ。今も既に、新しく僕の心には君の言葉のスペースが誕生している。

 忘れ行くものが人間だと言うセリフを小説で読んだ。脳科学で見れば、人間の使える記憶のキャパシティは微々たるもので、日に日に減少し、つまりは一つを残すためにはまた何かを一つ失くさなければならないらしい。理論的にはそうかもしれない。僕も随分と多くのことを失くしてきた気がする。間違ってはいないのだろう。

 ならば僕は、失くしたくない記憶を失くさずにいられるのだろうか。君と買ったヴィッテルの重み。君と飲んだコーヒーの酸味。君と見た百合の色。君と語り合った革小物の刻印。君と探ったトマトソースの甘み。君と食べた豆大福の塩加減。君と肩を並べた古ぼけたベンチ。君と後ろ向きに遊んだアスファルト。君と寝転がろうとした広さ。君と指差した赤と緑。

 たぶん、忘れてしまうこともあるのだろう。失くしたくない記憶ほど、失くした時に気がつかないものだ。僕らはその分、また新しく記憶を創っているのだ、きっと。そう考えると「失くさずにいられるのだろうか」という漠然とした不安も、にじり寄ってくる恐れも、全部氷解してくれる。

 でも、今日の言葉は絶対に失くさないようにしたいと思う。その記憶を日常にしていきたいのだ。こんなもんじゃないのを日常にしてみたいのだ。

 「そろそろ、帰ろう」

 僕は意を決して言う。この時間がずっと続けばいいとは思う。このまま留まり続けることも出来ると思う。でも、そんな必要はないのだ。同じ時間を生きていてゆっくりと君に追いついたように、僕らはこれからもっと多くの時をこの通りで過ごすことが出来るし、そうすべきだからだ。焦らなくてもいい。

 もう陽射しは弱くなり、太陽は隠れつつある。

 「春だけど、まだ、寒いこともあるね」

 そっと僕の左手を握る。ふっとぬくもりが僕全体に染み渡る。ぎゅっと胸が締め付けられる。

 「確かに」

 左手に少しだけ力を込める。微かにでも想いが伝わるように。

 「うん」

 僕は、君が、好きだ。

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 何を書きたいと思ったのか、自分でもよく分からない。でもこの文章の空気はすごく良いと自分でも思う。

 もしかしたら、こんな風な日常を僕は望んでいるのかもしれない。たぶん、そうだと思う。今がそうじゃないとは、限らないけれど。

 以前僕はあとがきに、「書いている時の心理状況がそのまま文章になることはない。多少の影響はあるけれど」みたいなことを書いたように思うけれど、今回の文章はいわゆるその影響がもの凄く強く出ているように思う。

 通りのイメージは実際にある通りを思い浮かべながら書いた。君のイメージも実際に存在する人を思い浮かべながら書いた。

 とても、幸せな文章だと思う。     circus

2007年4月 8日 (日)

シュガーポット

簡単なことだろう 僕はそこへ行くよ 君の隣 安らげる場所

イヤになってしまう日も 二人取り巻く空気に 総てを委ねてしまえるんだ

身勝手な感情を 胸に燃やしているけれど

誤魔化しなんて利かない…… 確かに心は彩られているんだ

このまま 何処まで 共に生きてゆける?

理由はいらない 赴くままに

もっと もっと ずっと ずっと 君といたい

もっと もっと ぎゅっと想いを 抱きしめたい

格好良いセリフも 気の利いた理想も 分かり合えば必要ないかもなぁ

暖かいイメージを 繋げてはストーリーを

紡いでは纏めて…… あるいは未来を創ればいいんだ

気付けば いつでも 並んでいられる?

幸せ 希望に 心震わせる

そっと そっと ふっと ふっと 微笑み交わす

そっと そっと 手を取って歩いていたい

答えにならないものを 考え続けているんだ

きっと君と同じ…… 世界を想い描いているんだ

このまま 何処まで 共に生きてゆける

理由はいらない 二人でいい

もっと もっと ずっと ずっと 君といたい

もっと もっと ぎゅっと想いを 抱きしめたい

もっと もっと ずっと ずっと 共にいたい

もっと もっと ぎゅっと想いを 共に抱いて……

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 僕の書く詩には2種類ある。一つは純粋にいわゆる詩であり、もう一つは歌詞だ。想像と創造の空間においては、思いのほか歌詞を書いていることが多い。例えば、今回の『シュガーポット』。

 以前に書いた、『つながり』や『8』もそうだし、『短篇集』も『足跡』もそうだ。ということは、僕はこの空間にはほとんど純粋な詩の方は、書いていないことになる。唯一『円』だけが、そういう存在であると言っていい。

 純粋な詩は好きだ。散文詩であろうが、なんであろうが。ただ、この空間ではあまり更新することがないというだけで。僕は案外、日常的に詩的に文章を捉えてしまうタイプだ。だから逆に言えば、僕の書く文章そのものに、もはや詩のような趣を持たせたいと想いながら書いているような気もする。おそらく、これから先、歌詞でない詩を更新することもあるだろう。

 歌詞と詩はやはり異なる。歌詞は曲と共に存在するものであるから、それが音楽として意味があるとしたら、同じ文章の繰り返しが生じる。世間ではもしかしたら、手抜きで繰り返すと思う人もいるのかもしれない。あるいは、巷で溢れかえる歌詞の多くは―とりわけアイドルは―それもあるだろう。……しかしながら、僕は違う。一度として、手を抜くために繰り返しを用いたことはない。

 そこに繰り返す意味があり、繰り返すよさがあるから、繰り返す。今回もそうだ。

 これだけ抽象的な、その上ストレートに漠然とした言葉ばかりで歌詞を書くのは久しぶりかもしれない。以前、その抽象性から、「もっと変わったことを書けばいいのに」と言われたこともあるけれど、それはいかがなものなのだろう。

 もちろん具体的な何かを出しつつ、それを上手く抽象的な表現として結びつけることは可能だ。それによって、「あぁ、なんて素晴らしい歌詞なのだろう」と想うことだって、ある。ストレートに漠然とした言葉を控えて、小難しくあるいは風情溢れた表現に感動することだって、ある。

 ならば何故これだけストレートで漠然とした抽象的な歌詞を書くのか、と問われれば、「それが好きだからだ」としか言うことは出来ない。出来る限り単純な言葉で、出来る限り誰もが理解できる繋がりで、歌詞を書く。いいじゃないか、と思う。当然、曲との関係性は重要だけれど。

 それはともかく、この『シュガーポット』はつい今しがた書き上げたところだ。メロディーと共に浮かび上がった言葉を多く使った。とても優しく、笑顔が溢れる暖かいメロディーだから、それを崩さないような歌詞になったと思う。

 これは愛の歌だろうか? 分からない。ただ感じられることは、他ならぬ僕自身の大切な想いは含まれているのだろうということだ。現実における「君」が誰なのかは別として。「もっと、ずっと」という単純な想い。

 『シュガーポット』というタイトルは非常に悩んだ。はじめは『未来創造』というタイトルだったし、そのまま『もっと、ずっと』というタイトルを経由したりもした。けれど、様々な隠れた意味も含めて、『シュガーポット』に落ち着いた。隠れた意味に関しては、最近僕自身が気がついた事実が基になっているけれど、それはどうでもいい。

 さぁ、コーヒーを準備しよう。砂糖は使わないけれど、大切な『シュガーポット』と共に。     circus

2007年4月 5日 (木)

サーカス

 彩り。イロドリ。いろどり。

 歓び。ヨロコビ。よろこび。

 微笑み。ホホエミ。ほほえみ。

 喜び。ヨロコビ。よろこび。

 輝き。カガヤキ。かがやき。

 綻び。ホコロビ。ほころび。

 煌き。キラメキ。きらめき。

 囁き。ササヤキ。ささやき。

 吹き抜ける風。揺れ動く舞台。響き渡る音。沸き起こる感動。

 打ち上がる波。包み込む丸盆。澄み渡る夢。受け入れる幸福。

 あらゆるもの総てを。

 フキヌケルカゼ。ユレウゴクブタイ。ヒビキワタルオト。ワキオコルカンドウ。

 ウチアガルナミ。ツツミコムマルボン。スミワタルユメ。ウケイレルシアワセ。

 あらゆる至福総てを。

 アラユルシフクスベテヲ。

 一つの空間に創る。

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 簡単に言うと、そういうわけで僕はcircusと名乗っている。

 言葉にすると、そういうわけで僕はcircusと名乗っている。     circus

 

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