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2007年2月 5日 (月)

予感―Bにとって―

 ありえない一日だった。本当にそれは、いままで経験してきた中で、想像しえなかったほどに、様々なことが一気に起こりすぎた。まず、朝に目を覚まし、水を飲もうと思い蛇口をひねると、昨晩からの水道管工事のせいで、水が一滴も落ちてこなかった。次に、いつも定時に乗る通勤電車が、途中の駅で軽い事故があり、二十分も遅れた。そして会社では、お得意様から突然の契約解除の連絡が入り、昼の休憩の帰り道では、サイフを落とした。また、家に帰ると、この間受けた検定試験の結果が届いていて、試験には受かっていなかった。夕食時に水を使おうとしたら、どうしたことか、また水が一滴も落ちてこなかった。本当に、色々な災難が一気に降りかかった。中には勿論、こちらの責任とも言えるものもあったが、多くは災難と呼ぶにふさわしいものだった。しかし、もっとも考えさせられたのは、これまで挙げたどのものでもなかった。どのものよりも僕の責任が絡み、どのものよりも、僕にはどうにもならないものだった。彼女が去ったのだ。

 しょうがないことだ、と結局は思った。彼女は僕に、多くのものを与え、多くのことをしてくれたが、僕は彼女に対し、何を与えただろう、そして何をしたのだろう。僕は、彼女に別れを告げられた後に、そう想いふけった。恐らく、一般的に男が、彼女にしてあげられるであろうことはしたはずだった。仕事の無い日はほとんど彼女と一緒に過ごしたし、少しでも時間が空けば電話をした。誕生日は出来る限り盛大に祝ったし、クリスマスは、クリスチャンではないけれど、メリークリスマスと笑った。他にも記念日があれば、僕は覚えていたし、暇があれば料理を作ったりもした。そして精一杯、僕は彼女を愛したと思う。が、だからといってそれが何だったのだろうということだ。今僕が思い返したものは、全て僕でなくても出来たことで、僕でなくても良かったことだったのではないだろうか。そして、それが現実だったのではないだろうか。すなわち、僕は彼女に対し、僕自身として何も与えず、僕自身として何もしていなかったのだ。それならば、彼女が僕に別れを告げるのは、やはりしょうがないことだった。

 たいしてショックを受けたわけでは無かった。それは、しょうがないことだという認識からきたものではなく、それとは別次元の気持ちで、ショックは受けなかった。また決して、僕が彼女を必要としていなかったからということでもない。僕には彼女のぬくもりは心地よかったし、ずいぶんとそのぬくもりを必要としていた。ではなぜショックは受けなかったのだろう。たぶんそれは、僕にとっても、彼女と同じだったからではないだろうか。つまり、僕にとっても、それが彼女でなくても良かったのではないだろうか。この考えはどの角度から見ても、絶対的に正しかった。だからこそ、僕はこうして冷静でいられるのだ。ありえない一日に起こった、もっとも特筆すべき出来事に対してですら。しかしこうして考えてみると、世の中に、僕自身を僕自身として、まして僕でならない存在として、すべてを必要としてくれる人は現れるのだろうか。そして彼女にも、そういう人が現れるのだろうか。僕はふいに震えた。恐くなった。がむしゃらに思考を凝らした。けれど、何も答えは見つからなかった。彼女はよく僕に、「明日になればわかるわ、明日になれば何とかなるわ」と言った。明日になれば、この僕の震えも恐さも、無くなってくれるだろうか。明日になれば、答えは出るのだろうか。僕の前に誰かが現れ、彼女の前にも誰かが現れてくれるのだろうか。とりあえず僕は、深く長く眠ることにした。

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 前に引き続くもの。この部分は、個人的にとても好きだ。特に二つ目の段落の部分。ある意味では、そこの部分こそがこの文章の核とも言えるのかもしれない。

「明日になれば何とかなる」というのは、もしかしたら逃げかもしれないし、詭弁かもしれない。

でも、そう信じなければならないことも、ある。     circus

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