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2006年7月19日 (水)

ねじれの位置

 僕と君は、ねじれの位置にいるとする。僕達は断じて接することもなく、交わることもなく、触れ合うこともなく、語らうこともなく、共に歩むこともないのだろうか。

 それは、違う。高く、深く、広く、大きく違う。

 ねじれの位置とはどういうものだろう。幾何数学的に言うなれば、「平行でもなく永遠に接することも交わることもない2つの直線の関係」といったところか。なるほど、それは定義としても素晴らしいし、そういうものを考えることも、幾何数学としては大いに意味のあることだ。

 でも僕達は、幾何数学だけの世界に生きているわけではない。

 僕の持論を言うなれば、僕と君は確かに現実においてねじれの位置にあろうとも、僕達は接することも出来るし、交わることも出来るし、触れ合うことも出来るし、語らうことも共に歩むことも出来ると思っている。ただし、それは現実の世界における、思想の問題ではあるにせよ。

 立証することは難しいけれど、僕はそれをしなければならない。

 「総ては繋がっている」というフレーズがある。僕はそんなことを善的に言うつもりはないけれど、結果としてはそのフレーズを用いることになる。他のフレーズを引っ張り出してきても構わないけれど、そんな回りくどいことはする必要もない。結局のところ言いたいことはフレーズではなく、その向こうにあるモチーフであり、さらに向こうにあるファクターなのだ。フレーズはそれらのメタファーでしかない。

 そのとおり、総ては繋がっている。

 なにも、本気でその文字面の意味を思っているわけではない。しかし、どうだろう。たとえば、僕とアフリカの少年。僕とロシアの若者。僕とキューバの老人。僕とオーストラリアのカンガルー。僕とインドのゾウ。僕とエジプトのスフィンクス。僕とアメリカのホワイトハウス。僕とアマゾンの樹木。僕とカスピ海の海水。僕とオゾン層のオゾン。僕と地球。

 距離、時間、位置、そして空間。

 アフリカの少年の吐く息がアマゾンの樹木を通して、僕の肺に流れ込む。ロシアの若者が叫んだ声が地球の大気を揺らして、僕の肌に風が吹く。キューバの老人が嘆き吸う煙草がホワイトハウスを通して、僕の生活を変える。オーストラリアのカンガルーが…………もういいだろう。そういうことだ。

 高く、深く、広く、大きく考える、感じる。

 僕とこの世界の多くは、幾何数学的に言うなれば、おそらくはねじれの位置にいる。けれど、僕達は繋がっている、どこかポイントを見つければ、その繋がりを感じることが出来る。たとえ、どれだけ離れていようとも、どれだけ遅かろうとも、どれだけ見えなくとも。

 幾何数学は間違っていない。

 幾何数学上で語ったとしても、ねじれの位置は繋がっている。視点が狭いだけだ。実物で考えるねじれの位置は、視点によって重なる、接する、交わる。そういうことだ。

 僕と君は、遠く離れている。距離、時間、位置、そして空間。

 けれど、僕と君は繋がる。それがフレーズの意味であろうと、思想のメタファーであろうと。僕達は自由意志において、接し、交わり、触れあい、語り合い、共に歩む。

 僕と君は、ねじれの位置にいる。

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 2ヵ月ぶりに更新。書くべきことは余るほどある。けれど、それがひとつの形をなさない。抽象的な絵画のように、僕の頭に浮遊している状態だった。今日、ようやく、ひとつのことが形を見せた。

 すかさず切り取った。間髪いれずに切り取った。これといってテクニックを駆使したり、バランスを考える時間もなく切り取った。まさに、僕の頭の中で形づくられた形、そのものだ。

 それだけ。

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