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2006年5月17日 (水)

世界の終り

 「世界がこのまま終わってしまえばいい」

 そんなことを言う人は信じられない、と僕は思う。僕は街を歩いている。

 世の中には、そしてその中にいるほとんどにとっては、やるべきこととやりたいことが、両手に収まりきらないほどにあるものだ。だから、今この時点で世界が終わってしまってもいいなどと思えるはずがない。そう感じることを出来るとするならば、それはあるいは自殺をする直前の者のほんの一瞬か、ただの愚か者でしかないようにも思える。

 しかし、本当ならばそういった者にすら、世界の終りの想いを込める権利は無い。理由は至極まともで、簡単なことだ。世界はその者だけの世界ではない。僕だっているし、親だっている、数少ない友人もいるし、大切な人だってそれなりにいる。そんな僕のような者が、何十億といる。それに数え切れないほどの動物もいるし、もっと多くの植物だっている。僕ら人間にプラスであれマイナスであれ、ウイルスもいれば菌もいる。

 そのそれぞれに、各々の生活があるのだ。ある程度の不満や苦痛がそこにはあったとしても、総合してみると、捨てたり壊したりしたくない生活が多かれ少なかれあるのだ。

 だから、世界を終わらせる権利は、誰にも無い。終りを肯定する権利さえ、誰にも無い。もちろんその者が思ったところで、本当にそう簡単に世界は終わったりはしないし、たかだか一つの力では強制的に終わらせることなど、到底出来ないとしても、だ。ダライ・ラマにだって、ローマ法王にだって、アメリカ大統領にだって、ピカソにだって、アインシュタインにだって、そんな権利は無い。世界がいつか、自発的に終わることを除いて。

 僕はそんな風に思っている。街は夕暮れに赤く染まっている。

 世界の終りを定義づけるのは実に難しい。ただただ単純にモノが壊れるとか、絶命するとか、そういう類ではどう考えてもないからだ。

 世界の終りを細分化し、その一つ一つを取り出し、バージョンをつけられるとする。音編、生命編、というように。すると、音編では音の世界が終わることを意味するはずだ。現実的な音としても、概念的な音としてさえも音は終わる。つまり、これまで音として機能し、喚起され、想像されていたもの一切が無くなるはずだ。では残るものは何か。それは音に対する思念でしかない。それは一般的に言えば、感情や思い出、記憶とも言える。それらの集合体としての思念。 それは生命に対しても同じで、生命そのものは文字通り以上に完璧に死に絶え、肉体は完膚なきまでに朽ち果て、残るのはやはり生命に対する思念だ。

 そうなると、世界の終りとはいかなるものか。あらゆる何もかもの一切が終わる。それに対する思念を残して。要するにそれは思念の世界の始まりである。現実的にはなんの実体も持たない、ただの思念の塊、停止した世界が出来上がる。そこに僕はいるかもしれないし、いないかもしれないけれど、どちらにせよ思念は思念でしかない。それ以上になることも200パーセント無く、それ以下になることも同等の可能性で無いのだ。

 なんのことはない、それは完璧な世界かもしれない。大きな変化もなく、というよりも総ての変化は訪れず、あるのは思念の枠組みの中の、循環したいわば円形時間でしかない。それは、僕らの思うよりもはるかに粛々としたもので、僕らの思うよりもはるかに安全で、限りなく狂いの無い世界かもしれない。あるいは総てが限りなく狂っているのかもしれないが、それはどちらでも同じことだ。ゼロと無限が相反しているようで、本質的には相似なように。

 僕はそう捉えている。もうすぐ街の端にたどり着く。

 ごちゃごちゃと複雑なことは無視して、とにかく世界は終わらせていいものではない。思念の世界も捨てたものではない気がするが、それは僕達が現実として受け入れるべき世界ではない。ましてや、現実として生きるべき世界ではない。そういうのは、小説の中だけで十分だ。そうでないとしたら、この世の中に小説のある意味は、一滴もない。

 したがって、世界の終りを想うことは僕の考えの範疇においては、絶対的に無い。価値観というものが、まるっきり裏表にひっくり返ったとしても、揺るぎないほどに無い。たとえ、僕が今カフカの審判のように、犬のように殺されようとしていたとしても、無い。

 確かに思っていた。街は姿を消し、目の前には川原があった。

 川原の真ん中には、一人の女の子がいた。たぶん、僕よりも一つか二つ年下のように見えた。彼女は遠くを見ているようだった。その先には赤く染まった空と、その大元である夕陽があった。

 一体何を考えているのだろう、と僕は思った。この現代において、街の外れで何も無い川原の真ん中で、何を持っているでもない女の子が立ち尽くしているなんて、普通ではない。そう、彼女は何も持っていなかった。楽器を持つでもなく、買い物袋を持つでもなく。

 僕は何故か、彼女に話しかけなければならない衝動に駆られた。それはまるで、晴天の中の雷のように。僕が彼女に近づいている間、彼女は微動だにしなかった。ほんとうに、まるっきり止まったままだった。そして、その時が来た。

 「何をしているの?」

 簡潔な言葉だった。たかがそれだけの言葉に、喉が砂漠のようにカラカラに渇き、唇が紙ヤスリの如くカサつき、舌がピリピリとコンセント的に痺れた。彼女のどの部分が僕をそんな状態にさせるのかは分からなかったが、彼女の何かが僕を刺激していることには違いなかった。

 彼女はほんの少し首を傾げた。僕が見る限り、彼女の初めての動きだった。

 ―待っていたの―

 言葉は発されなかった。けれど、僕には声が聞こえた。それははっきりとした音ではなく、思念のような形だったけれども、声は確実に僕の中に響いた。

 「何を?」

 僕は相変わらず言葉を発した。これがおとぎ話やアニメなら、僕も想えば声が通じるのかもしれないが、それは適切ではないと思った。今この世界では音は終わっていない、僕の世界でもまた然りだ。

 ―あなたを―

 またしても彼女は、思念を投げかけてきた。しかし、そんなことはどうでも良かった。それよりも、なぜ僕を待っていたというのだろう。僕は彼女を待たせていた覚えはないし、ましてや見たことすらなかったのだ。

 ―あなたを―

 彼女は繰り返した。そして同時に、はっきりと僕の目を見た。

 僕は無意識のうちに両手を広げていた。無意識のうちに、僕と彼女は共にいるべきだ、と意識した。彼女の目がそれを克明に物語り、僕の目がそれを自動的に吸収した。

 ―悪くないでしょう?―

 まったくその通りだった。なるほど、これで悪くない。彼女は微笑み、僕の腕に身を委せた。彼女の微笑みは、ごく控えめに言って素晴らしいものだった。僕の心と体の隅々までが、一気に洗われるようだった。僕はそれほどまでに汚れていたのだろうか?

 ―そんなことはないわ―

 ついに僕は彼女と思念で通じ合うようになった。現に、僕はもう言葉を発してはいない。けれど、僕の想いは伝わるし、何よりも彼女の想いが伝わってくるのを感じた。その代わりに、僕は時間の流れを見失っていた。今が夜なのか、もう朝になってしまったのかもわからなかった。いや、僕は今、彼女と僕以外の何もかもがわからなくなっていた。

 ―世界はいつか終わるのよ―

 なるほど、僕だってそうは思っていた。世界はいつか終わる。でもそのいつかを定めることは誰にも出来ないと思っていた。

 ―終わるのよ―

 オーライ、分かった。どうせ世界はいつか終わる。愚か者とレッテルを貼られても、断罪されようとも、いかなる天罰を受けようとも構わない、そう思った。

 僕は切り裂かれた。彼女が切り裂いた。思念だけが総てを理解していた。

 「世界がこのまま終わってしまえばいい」

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 実に一ヶ月ぶりの更新。理由は様々あるけれど、まとまった時間も取れなかったし、前に書いた「サイの角」に対する満足が非常に高かったせいもある。

 今回の文章は純全な創造物たる文章だ。これまで同様、宗教的意味も、政治的意味も、まして教訓的意味合いなども、意図して含んではいない。ここに書かれた思考も、僕そのものではもちろんない。

 けれど、ある種の潜在的思考と顕在的思考が入り混じって、この文章が書かれたであろうことには、相違ない。まぁ、結局はただの文章と捉えてもらえれば、幸いだ。

 次の更新はいつになるか、案外、早く訪れる気がする。それが、どういう形態であれど、頭にしっかりと創られれたなら、早急に更新したい。

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