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2006年4月 2日 (日)

ピスタチオ

 小さな村の真ん中で、Kは首を傾げた。Kはたった一つの意味を求めていた。その頃、村では流行っている言葉があり、Kにはそれが何であるのか理解することが出来なかった。そのものの意味も、それに関する何もかもが。

 ことあるごとに、村のみなは同じ言葉を使った。朝一番の挨拶、食堂で相席になる際の儀礼、結婚式など正式な場におけるスピーチの前置き、図書館での私語の注意、そして眠る前の挨拶。それ以外でも本当に文字通り、何時でも何処でも、同じ言葉を使った。家でも会社でも、学校でも娯楽場でも、ラジオでもアウトドアでも、たとえ葬儀の場でも。対象が何であろうと、誰であろうと。

 「ピスタチオ」

 Kは一人で声に出して呟いてみた。いつ頃からそんな言葉が流行り出したのかすら、Kには全く覚えが無かった。Kが生まれたときからあった言葉の気もするし、ついこの間に聞こえてきたような気もした。そして、すごく大切なようにも思えるし、同時にすごくくだらないようにも思えた。とにかく、何一つとして覚えが無かった。

 Kは思った。これはきっと、外来語なのではないだろうか、と。そう、レコードやエアコン、トマトのように。それにしても遠い外国や村は凄いものだ、とKはしきりに感心していた。レコードは時に心踊り、時に心響く、物悲しかったり底抜けに楽しい、なにやら複雑な音や声を鳴らすし、エアコンは冷たい風やら暖かい風やらを、まるで生き物の如く自在に吐き出す。トマトにいたっては、頬を落とすように甘く、爽やかで、美味しい。この村にかつて、これほどに人を魅了した食べ物があっただろうか……。Kはしばし思い返してみた。結論は初めから分かっていた。そんなものは無かった、Kは無性にトマトが食べたくなった。

 「ピ・ス・タ・チ・オ」

 Kは一語一語を丁寧に、優しく噛み締めながら発音してみた。けれど、やはり変わりは無かった。どことなく甘美で、人を惹きつける音をしているように感じたが、Kにとっては、それが果たしてみなが使うように素晴らしいレベルとは到底認められなかった。それなら、少なくともトマトのほうが、数倍良かった。幸せが喚起される、喜びが芽生える。

 Kは幾度と無く知識人に尋ねてみた。その言葉は何を意味するのか、と。けれど返ってくる答えは、燦々たるものだった。「知らないのならば、知らなくても問題は無い」とか「意味を人に尋ねるなど、言葉に対する侮辱ではあるまいか」などというように。しまいには「いずれ分かることさ」とまで言われた。Kに返ってくる答えは、多かれ少なかれ差はあれど、集約するとその程度のものでしかなかった。Kはもう、考えることを諦めた。知識人に訊いて分からなかったものを、どうしてこの平凡な少年の自分が悟ることなど出来るだろう。いつか分かる日が来るのだ。知識人が言うのだ、間違いは無い。Kはそのようにして、自身を納得させた。

 ……Kが諦めてから数ヶ月が経ち、言葉は徐々に聞かれなくなった。それから数年が経ち、誰一人発することはなくなった。それからまた十数年が経ち、その言葉自体を覚えているものがいるのかも定かではないし、K自身も殆ど忘れかけていた。

 Kもすっかり大人になり、愛する者と結婚をし、健康な娘を授かった。そしてその娘も十六歳になった。そんなある日に、Kは愛くるしい娘を見て思い出した。Kがちょうど同じ年くらいの頃に、呆れるくらいに流行り、日常と化し、意味が掴めなかった言葉を。

 「ピスタチオ」

 Kははっきりと力強く、そうして娘に声をかけた。娘ははじめ、あっけにとられていたようだった。後に、ささやかに笑い出した。「新しい」と言われた。近頃の若者の感覚はイマイチ把握しきれないが、どうやらこの年代にとっては、面白く感じたようだった。何か知っているかとも期待したが、しかし案の定、娘もそれが何であるのかは教えてくれなかった。

 「そんなの、知らなくたって死なないじゃない」、その通りだった。Kが外来語なのかどうかを尋ねると、「さぁ、どうだっけ?」と妙にはぐらかされた気分だった。なぜだろう。外来語ではなかったのであろうか、現代ではこの村も外来語に埋め尽くされているというのに、似たような言葉すら、Kには見つけ出せなかった。

 その日から数日が経ち、娘達の間で何故か、その言葉は昔のようにあらゆる場面で使われだした。まるで、暗黙の了解で意味が伝わっているように、Kには感じた。それから数週間が経ち、若者の間で当たり前の言葉となった。それからまた数ヶ月が経ち、かつての繰り返しのように、誰もが使うようになった。Kには何がなんだか分からなかった。

 Kは再び、多くの人―年上、年下とも構わず―に意味を尋ねた。しかし、返ってくる答えは、やはりKが若かりし頃に得たものと大差はなかった。どうやら、みなには分かっているらしい。Kは不思議に思った。言葉を現代に伝えたのは、K自身のような気がしていたからだ。Kから始まり、K以外で広がっていた。

 数年が経った。あの時とは違い、言葉は消えていない。流行り続け、前よりも日常と化し、何時でも何処でも使われている。

 「ピスタチオ」

 Kは未だに、何一つとて分かっていない。

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 さて初のまともな更新。特に文章について語ろうとは思わない。それぞれが、それぞれの解釈で受け止めていただいて構わない。意味が不明だろうが、面白がられようが、一向に構わない。

 僕はこのくらいの長さの文章が好きだ。文章としては、大して長くないけれど、軽く読むには少し長い。これくらいの雰囲気を最も好む。だから、これくらいか、もう少し短い形の文章が、このブログでは書かれると思う。文字数にして、2000文字弱である。大したモノではない。

 けれど、読んで何かを思ってくれれば、僕としては本望である。批判的でも、抽象的でも。

 これから先、書いていく文章を分類化してカテゴリーとする。今日のような全くの創造物は「創作」、主観による自分の想いの文章は「主観」、詩の形態ならば「詩」、載せるかはわからないが小説ならば「小説」だ。

 これに呆れず、暖かくお付き合い頂きたい。とはいえ、ここまで読みきってくれた人はいるのだろうか。いたら感謝の念は忘れない。いなかったら、それはそれで、いいのだけれど。      circus

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