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2006年4月 6日 (木)

方舟

 「わしを尊べ」

 ノア先生は声高におっしゃった。

 「わしが総てだ」

 ノア先生は厳かにおっしゃった。

 「向こうに、わしはおらん」

 ノア先生は誇らしげにおっしゃった。

 「悪と恐怖と嘘と洪水しか向こうにはないのだ」

 ノア先生は目を見開きおっしゃった。

 「お前らを助けたのは、このわしだ。そしてお前らを生かしているのも、このわしだ」

 ノア先生は諭すようにおっしゃった。

 「自由を盲信してはならん。わしだけが自由でありえるのだ」

 ノア先生は静かにおっしゃった。

 「疑うべきは死ね。何も言わずに死ぬのだ。疑いは不幸を招く」

 ノア先生は激昂しておっしゃった。

 「向こうを考えてはならん。それは疑いと同様である。考える前に死ね」

 ノア先生は手を振り上げておっしゃった。

 「わしの教えたことが真実なのだ。理解できないのは恥ずべきことではないか?」

 ノア先生は誰ともわからぬ者におっしゃった。

 「答える必要はない。わしが間違っているはずがない。間違いと思うのならば、やはり死ね」

 ノア先生は明快におっしゃった。

 「向こうに行こうとするのは構わない。しかしそれはわしへの裏切りと思え。裏切りは最大の侮辱だ」

 ノア先生は体を震わせおっしゃった。

 「侮辱は死すらも許さん。永遠の追放だ。二度とわしは手を伸ばさん」

 ノア先生は後ろを向いた。

 「お前らは、わしのモノだ。わしの所有物だ。それを忘れてはならない」

 ノア先生は右手を上げておっしゃった。

 「わしを敬え、わしに従え、わしが総てだ」

 ノア先生は再び厳かにおっしゃった。

 「わしを尊べ」

 ノア先生はさらに声高におっしゃった。

 舟の中は歓声と拍手で乱れた。ノア先生に人々はひれ伏した。涙さえする者もいた。

 僕はノア先生に背を向けた。目の前には、向こうへの扉があった。

 「冗談じゃない」

 僕は呟き、扉を開けた。そして、それと同時に目をつぶり、向こうへ飛んだ。かなた後ろではノア先生の叫び声がした。

 「でも、僕は死なない」

 僕はまた呟き、向こうの摂理に身を任せた。なにやら肌に感じたことのない感触がした。冷たさと暖かさが入り混じっていた。

 「ここが、僕の世界だ」

 僕はさらに呟き、体を丸めた。しばらく後に、少し強めの衝撃が僕を襲った。痛みはなく、柔らかな心地良さがあった。

 「これから、始まるんだ。いや、始めるんだ」

 僕は重たいまぶたを上げた。計り知れないほどの眩しさを感じた。見たことのない色が見えた。

 「ここが、僕の世界だ」

 僕はゆっくりと起き上がった。そして深呼吸をした。周りにはみずみずしい木々や芝生が溢れていた。美しい川も流れていた。たくさんのウシやウサギやサイもいた。土が程よく湿っていた。風がさわやかに吹いていた。鳥の鳴き声が聞こえた。空が無限に広がっていた。

 悪も恐怖も嘘も洪水も、死もなかった。ノア先生もいなかった。あるのは、僕と世界だけだった。

 総てが僕の思ったとおりだった。素晴らしい感動だった。これは裏切りではなく、完全に誠実だと思った。僕は祈った。強く祈った。舟の中のみなにも、総てが伝わることを。こちらが正しい場所で、舟こそが向こうだということを。生きるべくは、舟の中ではないことを。

 ここが、僕らの世界なのだ。

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 二つ目の文章を更新。僕は無宗教なので、宗教的に深い意味合いは、全く無い。絶対に無い。ただただ、頭の中にこの文章があるだけだ。ノアに対する批判もないし、方舟に対するアンチテーゼも、たぶんない。宗教的に痛みや辛さ、そして負の感情を抱かせてしまったとしたら、それは頭を下げる他にない。けれど、再び言うが、この文章に宗教的意味合いは全く、ない。誤解はしてほしくない。

 僕の中にある、様々な感覚や感情や思考が、ノアや方舟を通して出てきただけである。いわば、たまたまである。例えば本質だけを見るなら、ノアがナポレオンでもリーバイ・ストラウスでもあり得たかもしれないし、方舟がフランス革命でも501ジーンズでもあり得たかもしれない。それが、僕の中での一番しっくりくる、まともな形が、ノアであり方舟だった。それだけの話だ。

 けれど、その本質とやらは僕自身にもあまり分かっていない。僕自身がコレを通して、本当は何を言いたいのか、何をしたいのかもあまり分かっていない。そんなものが分かっているならば、ただそれを書いている。本質はこうこうである、と。しかしそんなものは、創作でもなんでもない、と僕は思う。

 ただ、この文章から、僕自身も何かを感ずることは確かである。だから読んでくれた方にも、何かを感じていただけていれば幸いだ。次は、何を書こうか。     circus

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